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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(オ)1237号 判決

上告人 国

代理人 加藤和夫 都築弘 小貫芳信 野本昌城 笠原久江 赤西芳文 手崎政人 竹中博司

被上告人 亡番所五平吉

訴訟承継人 番所さわゑ ほか七名

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人岩佐善巳、同大島崇志、同小見山道有、同大沼洋一、同兼行邦夫、同赤塚信雄、同白石研二、同小出正行の上告理由第一点及び第二点について

一  被上告人らの請求は、本件公訴の提起は、有罪判決を得る合理的な根拠がないにもかかわらずされたものであるから違法であるとして、国家賠償法一条に基づいて、上告人にその損害賠償を求めるものであるところ、本件公訴提起に至る捜査の経過及び刑事裁判について原審が確定した事実関係は、次のとおりである。

1  番所五平吉(承継前の被上告人、以下「五平吉」という。)は、昭和四三年一二月二七日、神戸地方検察庁洲本支部検察官により神戸地方裁判所洲本支部に有印私文書偽造、同行使罪で起訴された。その公訴事実の要旨は、五平吉は、淡路交通株式会社(以下「会社」という。)の株主であるが、会社の帳簿閲覧を求める仮処分の申請をしようとして、同四二年一一月二〇日ころ、事情を知らない自己の使用人八名に命じて弁護士三名に対する仮処分申請の委任状に他の株主である山田枡夫ほか二六名の名前を記載させ、その各名下に有り合わせ印を勝手に押して右二七名名義の委任状を偽造し、同月二一日、これを真正に作成されたもののように装って神戸地方裁判所洲本支部に提出して行使したというものであった。

2  同支部は、同四八年三月二九日、右公訴事実について無罪の判決を言い渡し、右判決は控訴されることなく確定した。右刑事判決の理由の要旨は、五平吉が右公訴事実のとおり山田ほか二六名の委任状を無断で作成したことは認められるが、右行為は、会社の経理上の疑惑を追及する目的で株主の有志により結成された株友会の活動の一環としてされたもので、山田ほか二六名は株友会と何らかの関係をもつ者であり、株友会の規約上も五平吉に委任状の作成権限を授与する旨が規定されていたこと等から、五平吉は、右委任状の作成の権限が自分に与えられているものと誤信していたので、文書偽造の犯意がなかったというものである。

3  本件公訴の提起に先立ち、洲本警察署は、会社が五平吉を業務妨害行為をしたとして告訴したことに基づいて、同四二年一〇月二七日、株友会の事務所が設置されていた五平吉経営の有限会社番所商会を捜索し、その際、株友会の設立に関する趣意書、株友会名簿、株友会ニュース、株友会通知書、入会申込書、郵便はがきなどの関係書類多数を押収したが、その中には株友会の規約はなかった。

4  その後、同警察署は、会社が同年一一月二四日五平吉を業務妨害、私文書偽造、同行使罪で追告訴したことに基づき、会社関係者を始め、委任状を偽造されたとする山田ほか二八名につき本人ないし親族等からそれぞれ事情を聴取し、同四三年二月五日までの間に五平吉を前後六回にわたって取り調べた。五平吉は、右取調べにおいて、委任状の各作成名義人からその作成を任されていると思っていた旨の弁解をしていた。同警察署は、同月一五日、右追告訴に係る事件を神戸地方検察庁洲本支部検察官に送致した。

5  右検察官は、同年一二月に入ってから、委任状を偽造されたとする山田ら二九名のうちの一三名及び前記使用人のうち七名を取り調べて、その供述調書を作成した。

6  右検察官は、同月二四日、五平吉を被疑者として取り調べたが、五平吉は警察におけると同様の弁解をした。右検察官は、五平吉の供述調書一通を作成し、これに五平吉が同月二六日持参した弁解内容を記載した供述書を添付した。右検察官は、五平吉の弁解内容は単なる情状にすぎないと考え、同月二四日の取調べの際五平吉が持参した多数の株友会関係の証拠書類も読まずにそのまま持ち帰らせ、五平吉の前記供述書に引用されている証拠を提出させて検討することもなかった。そして、右検察官は、五平吉について有罪と認められる嫌疑の存在は動かし難いと判断して、同月二七日、本件公訴を提起した。

二  原審は、前記の事実関係のほか、本件公訴提起に至る捜査の経過とは別に、(1) 五平吉は、昭和四一年一一月ころ株主の有志ら数名とともに会社の帳簿を閲覧することを目的とした株友会を結成してその会長に推挙され、同四二年六月ころまでに約四〇数名の株主宅を訪問して帳簿を閲覧することの必要性を説いて白紙委任状に署名押印を得、同年八月中旬ころまで、五平吉の従業員らに各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は五平吉に押印と署名を任せて欲しい旨を申し入れ、帳簿閲覧請求書や検査役選任申請書に署名押印を受けたこと、(2) 五平吉は、右各書面に署名押印した株主を株友会の会員として取り扱い、同年七月ころ、右の会員に対し、会社の取締役の責任を追及する諸手続をするため今後相当数の記名押印を必要とするが五平吉の方で印鑑を作って記名させてもらう旨等を記載した「株友会会員各位」と題する書面を送付し、さらに、同年八月ころ、会社の運営改善に関する解決までの一切の権限を五平吉に与える旨の委任状を送付したこと、(3) 五平吉は、前記仮処分申請に当たり、委任状を偽造されたとする前記山田ら二七名のうち森しづかを除く二六名は株友会の目的遂行のための活動に参加してきた同志であり、しかも前記の「株友会会員各位」と題する書面等も配付しており、記名押印の代行について異議なども特に聞かされていなかったことから同人らも右委任状の作成を自分に一任してくれているものと思い込んでいたこと等の前記仮処分申請に至るまでの事実関係も詳細に確定している。その上で、原審は、右各事実関係の下において、本件事案は会社の経理疑惑をめぐる会社側と株友会の会員との間の民事紛争に端を発した事件で、このように特殊な紛争では、五平吉に文書偽造の犯意があるとして起訴するには、相当高度な合理的根拠が必要とされるところ、担当検察官は、五平吉の犯意の存否につき、極めて重要な決め手となるべき事件の本質的な背景、事情について何ら思いを致すことなく、単に関係者らの供述だけを一方的に過信し、五平吉のする弁解は単なる動機の錯誤にすぎないと即断してこれに耳を傾けず、五平吉が持参した株友会関係の証拠資料及び五平吉が供述書で引用している証拠を検討することもなく、実質的な取調べは全くしないまま、本件公訴を提起した点に過失があり、株友会規約の作成時期は必ずしも明らかではないが、それが前記仮処分申請後に作成されたものであるとしても、前記(2)の事実関係の下においては、右の判断を左右するものではないとして、国家賠償法一条に基づく上告人の責任を肯認した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば足りるものと解すべきである(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)。そして、公訴提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁)。

これを本件についてみるに、前記一の事実関係その他の原審の理由説示によっても、本件公訴提起時において、担当検察官が、五平吉の犯意に関する証拠資料としてどのようなものを収集していたのか、また、通常要求される捜査を遂行していれば、右の点についてどのような証拠資料を収集し得たのか、殊に、前記の「株友会会員各位」と題する書面や刑事判決において五平吉の犯意の存在を否定する判断の重要な要素となった株友会の規約(〈証拠略〉)がどうであったか、という点については、明らかにされていない。したがって、本件公訴提起時において、担当検察官が現に収集していた証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的に判断すれば、五平吉を有罪と認めることができる嫌疑があったということができるかどうかについても、明確に判断することができないものといわざるを得ない。

そうすると、原審は、本件公訴提起の違法性について十分な検討をせず、その具体的判断をしないまま、上告人の国家賠償法一条に基づく責任を肯認したものといわざるを得ず、原判決には、同条の解釈を誤った違法があるか、又は審理不尽、理由不備の違法があるというべきであり、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがって、論旨は右の趣旨をいう点において理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そこで、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 味村治 大堀誠一 小野幹雄 三好達 大白勝)

上告理由

目  次

第一点 事実の認定判断の誤りについて…二四一二

第二点 国家賠償法一条一項の「違法」の解釈適用の誤り等について…二四四〇

第三点 過失の認定判断の誤りについて…二四五三

上告人は、上告の理由を次のとおり明らかにする。

第一点 事実の認定判断の誤りについて

原判決の事実の認定判断には、経験則違背ないし採証法則違背又は理由不備若しくは理由の食い違いの違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 まず始めに、被上告人に係る有印私文書偽造、同行使(以下「有印私文書偽造等」という。)被告事件の捜査・処理の経過の概要及び検察官が神戸地方裁判所洲本支部に対して公訴を提起した時点において収集した証拠に基づき認定し得た事実関係を明らかにし、次いで二以下において、原判決の認定判断の誤りを明らかにする。

1 淡路交通株式会社から、昭和四二年一一月二四日付けで所轄洲本警察署にあてて、被上告人について有印私文書偽造等の罪で処罰することを求める追告訴状が提出された(〈証拠略〉)。洲本警察署では、かねてより被上告人ほか一名に対する業務妨害、名誉毀損被疑事件について捜査を実施しており、同年一〇月二七日には被上告人経営に係る番所商会の事務所を捜索するなどしていたことから、右有印私文書偽造等被疑事件についても捜査を開始し、所要の捜査を逐げた上、昭和四三年二月、刑事訴訟法二四二条に基づき、同事件に関する書類及び証拠物を、神戸地方検察庁洲本支部検察官に対し送付した(〈証拠略〉)。

昭和四三年三月末に同支部支部長検事として発令された検察官山内茂(以下「担当検察官」という。)は、右有印私文書偽造等被疑事件を担当することとなったため、同事件及び業務妨害等被疑事件に関する送付記録の検討を開始し、業務妨害等の事実については証拠上嫌疑が十分ではないとの心証を得たが、有印私文書偽造等の事実については、証拠関係が明確であると認められたことから、同事件に力点を置いて検討を重ねた上、同年一〇月ころから本格的な捜査に着手した。そして、必要な捜査を尽くし、すべての関係証拠を総合勘案した結果、同事件については有罪と認められる程度の嫌疑があるとの判断に達し、関係する情状をも併せ考慮して、本件については公訴を提起するのが相当であると認められたので、同年一二月二七日、神戸地方裁判所洲本支部に起訴(以下「本件起訴」という。)したものである(〈証拠略〉)。

2 本件国家賠償請求事件の審理には、担当検察官が本件起訴時に認定判断の資料とした証拠は、ほとんど提出されているものと認められるが、それらの主なものを掲記すると、〈証拠略〉等である。

そして、右関係証拠を総合すると、以下のような事実が認められる。

被上告人は、昭和一五年ころから旧淡路鉄道株式会社(現淡路交通株式会社)の株を所有しており、昭和四二年一二月当時一万八二〇〇株を有していた。その関係等から被上告人は、同会社から優待乗車券の支給を受けていたが、昭和四一年一〇月ころ、同会社の代表取締役土屋恒治及び取締役加藤友保(以下「加藤」という。)から、「合理化のため優待券を全部引き上げている。あんたの分も返して欲しい。」と言われたことから、日ごろ加藤が不正を働いているのではないかと疑っていたこともあって、同会社の経営状態等を調査することを決意した。

そこで、被上告人は、同人の従業員岩坪をして、同年一一月二日淡路交通株式会社の株主有志を招集させたところ、同日は一七名の株主が集まったが、「会社の帳面をみせてもらおうじゃないか」等と雑談程度の話をしたにすぎなかった。

その後、被上告人は、何ら活動をしないまま昭和四二年四月ころになったが、そのころ、右加藤の犯罪行為に関する証拠を立花一男という者が持っているとの情報を得たことから、同人に働きかけたところ、同月二四日ころ、同人から、岩坪を通じて、加藤が大阪淡路交通株式会社における背任、横領被疑事件について、大阪地方検察庁検察官から起訴猶予の処分を受けている旨の不起訴処分理由告知書を入手した。そこで被上告人は、加藤が、淡路交通株式会社においても不正を行っているおそれがあり、事実関係を調査して不正があれば同人を会社役員の地位から更迭する必要があると考えた。

そのため、同年六月一〇日ころから、被上告人は、岩坪とともに淡路交通株式会社の株主宅を訪問して回り、加藤の犯罪事実を告げ、淡路交通株式会社が無配になるおそれがあること等を話して、同会社の帳簿閲覧請求のために用いる白紙委任状に署名・捺印するように説得した。その結果、同月末には、四〇名余りの株主の委任を受けたが、被上告人は、このような白紙委任状ではいまだ不十分と思い、新たに帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書に署名・捺印を求めることとし、同年七月初旬ころから、岩坪ら従業員とともに各株主宅を訪問し、あるいは岩坪らをして、訪問させてこれを実施した。こうして同年八月中旬ころまでに相当数の委任を得たので、そのころ委員長を被上告人とする株友会を発足させ、これら株主に対し、同会の趣旨等を記載した「残暑御見舞申上げます」と題する書面を郵送した。また、被上告人は、臨時株主総会及び定時株主総会に使用するため、各株主に対し、「淡路交通株式会社の運営改善に関する解決迄の一切の権限」を委任する旨の記載のある委任状用葉書を送付したりもしたが、これについては二〇通位しか返送されなかった。

その後の同年一〇月一六日ころ、被上告人らは、弁護士仙波安太郎及び同川田祐幸ほか一名を代理人として淡路交通株式会社に対し、商法二九三条ノ六に基づく帳簿閲覧請求をしたが、同会社からこれを拒否されたため、次の手段として、民事裁判手続によることとし、同年一一月八日、神戸地方裁判所洲本支部に対し、帳簿閲覧仮処分申請をし、即日同決定を得た。しかし、これに対し淡路交通株式会社は、右仮処分申請の委任状の一部が既に死亡している株主の名義となっていることなどを理由に執行停止の申立てを行い、同月一四日、その旨の決定を得た。

そこで、新たに帳簿閲覧仮処分申請をすることになり、川田弁護士から、新たに訴訟委任状を入手するよう指示を受けた被上告人は、ことが急を要するものであり、また、既に帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書に署名・捺印をしてくれている株主については、被上告人が無断でそれらの者の名義で訴訟委任状を作成しても、事後に了解を得ることが可能であろうと軽信し、従業員に指示して本人の了解を得ないまま、印判店から認印を買い求め、訴訟委任状用紙の委任者欄に、八名の従業員らに命じて筆跡を変え、殊更に筆記具を使い分ける等して、山田桝夫ほか二六名の被偽造者の氏名を記入させ、各名下に右認印やありあわせの認印を押捺させて委任状を作成し、これらを真正に成立したものとして、事情を知らない川田弁護士らを介して同月二一日、神戸地方裁判所洲本支部に提出し、再度帳簿閲覧仮処分申請をした。その結果、同日請求どおり仮処分決定がなされたが、淡路交通株式会社側の調査により、偽造の事実が判明し、それを理由に執行停止決定が出されたことから執行するには至らなかった。

こうして偽造の事実が発覚した後、被上告人及び同人の子である番所保らは被偽造者を訪ね、事後承諾を得ようとしたが、多くの者から叱責され、ただ謝罪するのみであった。

関係証拠により認めることができる以上の事実によれば、担当検察官が公訴を提起するに当たり、被上告人に係る有印私文書偽造等の事件について、有罪と認められる嫌疑があるものと判断したことには合理性が存するというべきである。

二1 原判決は、被上告人らの本件仮処分申請、淡路交通株式会社の本件告訴、検察官の本件起訴及び無罪判決の確定に係る各事実を、当事者間に争いのない事実として認定し、〈証拠略〉により無罪判決の理由の要旨を認定した上で、被上告人の責任の有無にかかわる事実を、証拠に基づき、次のとおり(一)ないし(十五)に分けて認定した(原判決二丁裏一〇行目から三丁表初行目まで、三六丁表三行目から三八丁裏七行目まで、原判決が引用する第一審判決一〇丁裏末行から一六丁表八行目まで。なお、原判決部分の「被控訴人」及び第一審判決部分の「原告」は被上告人、原判決部分の「訴外会社」は淡路交通株式会社の意である。)。

「(一) 訴外会社は、大正三年四月に設立され、洲本市に本社を置き、昭和四一年九月末までは洲本・福良間の電車路線営業を、以後は右路線の廃止によりバス等の自動車運送業を主目的とし、昭和三八年当時の増資による資本金は二億円、発行済株式総数は四〇〇万株であり、その関連会社(子会社)としては淡路観光、大阪淡路交通(昭和三〇年七月設立)、京都淡路交通(昭和三五年一一月設立)、名古屋淡路交通(昭和四〇年七月設立)等の各株式会社があり、右関連会社の代表取締役には設立当初(大阪淡路交通については昭和三四年一一月)からいずれも訴外会社の現代表取締役である加藤友保(以下「加藤」という。)が就任していた。

一方、原告は、有限会社番所商会(洲本市所在)を経営しているものであるが、戦前からの古い訴外会社の株主でもあり、昭和四一年当時一万八、二〇〇株を有していた。

(二) 訴外会社は、従前から株主等に対して優待乗車券を発行していたが、昭和四〇年九月開催の取締役会において、当時専務取締役で大株主(一〇〇万株)でもあつた加藤の強い提唱によりこれを整理することとなり、その結果、原告が終戦直後に訴外会社のためガソリン調達の労をとつたことにより交付されていた全線優待乗車券(七枚)についても整理の対象とされたことから、原告は右措置に不満を抱き、かねてから噂のあつた加藤に対する訴外会社及び関連会社の経理上の疑惑を追及しようとして、昭和四一年七月頃開催された臨時株主総会で右疑惑について質したところ、当時の代表取締役であった土屋恒治(以下「土屋社長」という。)から加藤は潔白であると一蹴されたため、同年一一月頃、株主の有志ら数名とともに右経理監査の必要から会社帳簿の閲覧を目的とした「株友会」を結成して、その会長に推挙され、右疑惑追及にのりだした。

(三) 原告は翌四二年四月下旬頃、立花一男から、同人が以前(昭和三八年九月)に加藤を大阪地検に、大阪、京都淡路交通に対する背任、横領の嫌疑で告発した際の不起訴処分理由告知書写(〈証拠略〉)等を入手し、右処分が起訴猶予になつていることを知ってますます加藤への疑惑を深めるとともに「株友会」の活動を一層強化する必要を痛感し、商法二九三条ノ六による帳簿閲覧請求権(少数株主権)を行使するために必要な訴外会社の発行済株式の総数の一〇分の一(四〇万株)以上に当たる株式を有する株主を確保すべく、同年六月頃までに約四〇数名の株主宅を訪問して会社帳簿閲覧の必要性を説き、白紙委任状に署名捺印を得たが、さらに、帳簿閲覧請求書やその検査役選任申請書を作成した上、同年八月中旬頃まで原告の従業員岩坪慶直らをして各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ、右各書面に署名捺印を受けた。

(四) 「株友会」の組織構成は、同年六月当時、委員長が原告、委員は岡田甲斐二郎ら一二名で、原告の番所商会にその事務所を設置し、前記各書面に署名押印した株主を「株友会」の会員として取扱い、その会員名簿等も作成した上、同年七月頃、これらの会員に対し、「過日参上した際に申し上げた加藤氏の不正について、取締役の責任を追及することに株友会役員の意見が一致しました。今後の具体的処理については、強行手続をとるほかはないものと信じます。ついては、諸手続をするのに今後相当数の記名押印を必要としますので、過日参上の節すでに御了承を得ておりますとおり、印鑑を作つて記名させて頂きますからよろしくお含み置き下さい。」との趣旨を記載した「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)を、次で同年八月頃に「去る三九年の大阪、京都の子会社における加藤氏の前記疑惑については、大阪地検で明らかに業務上横領罪に当るとの裁定があつたのに、本社の株主総会では「白」であったと虚偽の報告をしており、また右事件以外にも同人の不正事実を感知しているので、これ以上野放にしておれば我々の財産である株を鼻拭紙同然にされる虞れが多分にある云云」とする株友会名義のビラ(〈証拠略〉)を「訴外会社の運営改善に関する解決までの一切の権限を原告に与える。」旨の委任状(〈証拠略〉)とともに順次送付した。

(五) 一方、訴外会社も右のような「株友会」の活動をいち早く察知し、これに対抗するため、賀集進一らの取締役が中心となつて、各株主宅を訪問し、「株友会」の主張する疑惑が根拠のないことや株主に対する利益配当も従前どおり続けることなどを説明して、もつぱら防戦に努めていた。

(六) 同年一〇月一六日頃、原告ら四二名の株主が弁護士仙波安太郎ら三名に依頼して訴外会社に対する帳簿閲覧請求を行うや、訴外会社はこれを拒否するとともに同月二一日、前記ビラの配布は訴外会社の正常な運営を阻害する目的でした業務妨害行為であるとして、原告を洲本警察署に告訴し、同月二七日、右嫌疑により原告の番所商会が捜索差押を受け、その際、「株友会」の設立に関する趣意書をはじめ、株友会名簿株友会ニュース、株友会通知書、入会申込書、葉書などの関係書類多数が押収された(しかし、問題の株友会規約は押収されていない。)。

(七) その後原告ら三七名は同年一一月八日、前記弁護士三名に委任して訴外会社の帳簿閲覧の仮処分を神戸地裁洲本支部に申請し(以下「第一次仮処分申請」という。)、同日、その旨の仮処分決定がなされたが、これに対し訴外会社は、右仮処分の申請人中二名についてはすでに死亡しており、七名はこれを委任しておらず、仮に、委任していたとしても解除したから、商法二九三条ノ六の要件を欠くことを理由に異議及び執行停止を申立て、同月一四日、その執行停止を受けた。

(八) そこで、原告らは右第一次仮処分申請を一たん取下げ、同月二一日、前記申請人七名の帳簿閲覧意思の撤回は訴外会社が強引にこれをさせたもので、内三名についての撤回は真意でない旨の上申書を添えた上、改めて原告外六八名を申請人(前同様弁護士に委任)とする本件仮処分を申請し、同日、その旨の仮処分決定を受けた。

(九) ところで、本件仮処分申請にあたり、後日問題とされた山田外二六名の弁護士に対する委任状は、いずれも原告においてこれをその使用人に指示して作成したものであるが、原告自身としては、右山田ら(但し、後日「株友会」の活動には関係していないことが判明した森しづかを除く。)も「株友会」結成の趣旨に賛同し、その目的遂行のため、これまで原告らとともに一連の活動(訴外会社に対する帳簿閲覧及び第一次仮処分の各請求等)に直接参加してきた同志であり、しかも、すでに前記のような「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)等も配布しており、記名押印の代行について異議なども特に聞かされていなかつたことから、同人らも右委任状の作成を自分に一任(少くとも黙認)してくれているものと思い込んでいた。

(十) 一方、訴外会社は、右委任の有無について、各申請人らを個別に確認したところ、二九名が委任状に署名捺印しておらず、使用印も本人のものではなく、承諾なしに勝手に作成された旨を述べ、二名は申請時に死亡していることも判明したので、申請取下の意思を表明した八名を加え、これらの事情を理由に同月二四日、再び執行停止の決定を受けるとともに、弁護士勝山内匠と相談の上、これに委任して同日、原告の右行為が業務妨害、私文書偽造、同行使罪に該当するとして洲本警察署に追告訴した(本件告訴)。

(十一) 洲本警察署は、訴外会社の本件告訴に基づき捜査を開始し、加藤ら会社関係者をはじめ、問題の委任状を偽造されたとする山田外二八名ないしその親族等からそれぞれ事情を聴取した上、翌四三年二月五日までの間に原告本人を前後六回にわたつて取調べたが、原告は右取調に対し、終始一貫して「委任状の作成についてはこれを委任されていると思つていた。」旨弁論していた。しかし、右警察は取調の結果、同年二月一五日、あえてこれを神戸地検洲本支部に送検した。

(十二) ところが、担当検察官は、右被疑事件を同年暮頃まで約一〇か月余りもそのまま放置し、ようやく同年一二月に入つてから、すでに警察で取調済みの関係者ら(被偽造者とされた山田ら二九名のうち一三名と筆記者である被控訴人の使用人七名)を再度極く簡単に取調べた上(これらに対する検察官調書はいずれも僅か二、三枚程度にすぎない。)、被控訴人について、有罪と認められる嫌疑の存在は動かし得ないと速断して、年の暮も押し迫つた同月二四日に、原告本人をごく短時間取調べ、弁解したい点があれば供述書を提出するように促し、その提出を見越して予め『弁解したい点は只今提出しました供述書記載の通りであります云々』と記載した要約程度(数枚)の供述調書を一通作成しただけで、これに同月二六日被控訴人が持参した供述書(〈証拠略〉)を添付し、翌二七日急遽本件起訴に及んだものである。

(十三) 原告は担当検察官から右取調を受けた際も、警察での供述と同様の弁解をしており、しかも、これを裏付ける「株友会」関係の証拠書類まで多数持参していたが、担当検察官は、原告のする弁解は動機の錯誤で単なる情状にすぎないと考えて、これらの書類を一瞥もせずに、そのまま原告に即時持ち帰えらせた。右供述書には、そのはじめに『私の真意を参考資料を付して左に申し述べます。』との記載があり、本文中で随所に多くの証拠(〈証拠略〉)を挙示、引用しているが、担当検察官は、右供述書を通読しただけで、これらの証拠を被控訴人に持参させて検討することはなかつた。

(十四) 神戸地裁洲本支部における本件公判は、翌四四年四月から四八年三月まで約四年間、三三回にわたる公判期日の審理を経て、結局事実の錯誤による故意の阻却を理由に無罪の判決がなされるにいたつた(なお、問題の株友会規約は、当該公判廷においてはじめて弁護人側から証拠として提出された)。

(十五) 原告は、右刑事事件のため、弁護士二名に対する着手金や成功報酬として合計金四〇〇万円を下らない金員を出捐した。」

2 被上告人の責任の有無にかかわる前記事実のうち、(一)ないし(三)(ただし、(三)のうち、次に指摘する部分を除く。)(五)ないし(八)、(十)、(十一)(同所末尾の「あえて(中略)送検した。」の「あえて」との認定判断は事実に反し、原判決挙示の証拠により認めることはできないが、ここでは論じない。)、(十四)及び(十五)は、原判決挙示の証拠により認めることができる。

しかし、前記事実のうち、(三)の「(原告は)さらに、帳簿閲覧請求書やその検査役選任申請書を作成した上、同年八月中旬頃まで原告の従業員岩坪慶直らをして各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ、右各書面に署名捺印を受けた。」との部分、(四)、(九)、(十二)及び(十三)は、いずれも原判決挙示の証拠によっても、また、右証拠を総合して合理的に推論しても認めることのできない事実であり、原判決は右証拠によって右事実が認められる合理的根拠を何ら示さず、さらに、右証拠中に右事実に対応する部分があるとしても、それは原判決が互いに矛盾、抵触する証拠を採用したため、ないしは、不合理な証拠の取捨選択をしたためであるから、いずれにせよ、右事実について、原判決が誤った認定判断をしたことは明らかである。以下、詳論する。

三1 原判決の認定に係る前記(三)の「(原告は)さらに、帳簿閲覧請求書やその検査役選任申請書を作成した上、同年八月中旬頃まで原告の従業員岩坪慶直らをして各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ、右各書面に署名捺印を受けた。」との部分については、原判決の認定判断に誤りがある。

すなわち、被上告人の指示で同人の従業員岩坪らが、昭和四二年八月中旬ころまで「各株主宅」を訪問し、帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書に署名・捺印を受けた際、右従業員らが各株主に対し、「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実はないのであって、右申入れの事実があるとする原判決の認定判断には誤りがある。

2 原判決が挙示する証拠中、右認定事実に沿うものとしては、一応(〈証拠略〉)が存在するが、いずれも被上告人本人又は被上告人の従業員に係るものである。

これに対して、右申入れの相手方であるとされる各株主に係る証拠関係を精査しても、右申入れの事実を裏付けるに足りるものは存在しないし(なお、〈証拠略〉中の柳原健六の刑事公判廷における二回目の証人尋問調書中には、右申入れを受けたごとき証言もあるが、発言者、その時期等については判らないと述べており、右申入れを明確に否定している同人の一回目の証言に照らし信用できない。)、〈証拠略〉は、各株主の捜査官に対する供述調書であるが、右申入れの事実を肯定し得るものは存在しないのである。

かえって、山田桝夫は、「訴訟を起してでも閲覧を実行すると言う意思は毛頭なく、番所さんの方から来た名前は知りませんが、その人からも、そんなことは聞いて居りません。」と述べ(〈証拠略〉)、粟田雅文は、「訴訟を起してでも閲覧を実行すると言う意思は毛頭なく、番所方から来た岩坪という男からもその様なことを聞いておりません。」と述べ(〈証拠略〉)、また、田村忠嗣は、「それなら帳簿を見るのもええやないかと帳簿閲覧だけの同意する様に答えま(した。)」と述べており(〈証拠略〉)、原判決の認定に係る「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨」の申入れの前提となるべき淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求に係る仮処分申請や本案訴訟については全く委任していないことを明確に供述しているのである。

また、右申入れの相手方であるとされる各株主は、そのほとんどが刑事公判廷においても右事実を否定する証言をしている(〈証拠略〉)。

南山きさゑは、被上告人からの「一々来るのは面倒だから、その時は此方で間に合わせてやらして貰っても良いか。判は外では使わんからと云う話はしなかったか。」との質問に対し、「忘れました。」と答え(〈証拠略〉)、河崎与一郎は、検察官からの「そう云う趣旨のこと(上告代理人注・適当に判を作り代理捺印させること)の了解を求められたり、そう云う風にしてもかまわないと答えられたりしたことはないか。」との質問に対し、「記憶ありません。」と答え(〈証拠略〉)、田村忠嗣は、検察官からの「必要な都度貰いに回るのが邪魔臭いので適当に番所の方で判を作って名を書かして貰い判も作って押して手続をすることを了解して欲しいと言われたことはあるか。」との質問に対し、「そんなことはありません。」と答え(〈証拠略〉)、木下茂は、検察官からの「そう云う趣旨のこと(上告代理人注・適当に判を作り必要な書類に名を書いて捺印すること)を株友会の人から言われて証人が了承したことはあるか。」との質問に対し、「そんなことはありません。」と答えている(〈証拠略〉)。

被上告人の従業員である岩坪は、捜査段階での三回にわたる取調べにおいて、各株主に対し、代わりの印鑑で手続をさせてもらいたい旨の話をしたことについては全く述べておらず(〈証拠略〉)また、刑事公判廷における一回目の証言では、次のとおり述べている(〈証拠略〉。したがって、同人の刑事公判廷における二回目の証言は信用できないものである。)。

弁護人 その書面(上告代理人注・帳簿閲覧請求書)に署名捺印を貰ったのか。

岩坪 貰いました。

弁護人 その時どう云うことを説明したか。

岩坪 当時大阪淡路交通社長で本社の専務を兼任していた加藤友保氏(現本社社長)の不正事項や、昭和四二年下半期においての会社の業績は好調であるのに無配にすると云うことを聞いたので、そのことを各株主に話しました。すると各株主は皆そりゃ大変じゃ、株主としての一切の権原をお前に任すから一生懸命やってくれ全面的協力をすると言ってくれ署名捺印してくれました。

(中略)

弁護人 証人が株主から判を貰われた時会社内部の事情を説明したと言われたが、その外に今後判が要る時には一一廻って判を貰うことは面倒だから任してくれと云う話をしたことはあるか。

岩坪 一一廻るのは面倒だからと云うのでなしに全面的な協力をお願いしたいと言ったのです。

(中略)

裁判官 証人が株友会の仕事を手伝っとる間に斯う云う格好でやっとると一一判を貰うことになって面倒くさいのでこれから判の要る場合は番所の方で勝手に判を作って押しても良いかと云うことを株友会に諒解を得た様なことはないか。

岩坪 そんな諒解を得たことはありませんが、前述のとおり加藤氏の不正事実、会社の無配当等の話をし我々に全面的協力を願い度いと云う話をした時宜敷い応援しましょうと云う話はされました。

裁判官 判を番所の方で適当に容易してやらして貰って良いかと云うことはどうか。

岩坪 それは知りません。

以上に検討したとおり、原判決の認定に係る、被上告人の従業員らが各株主に対し「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実が存在するか否かについては、原判決が挙示する証拠中、右認定に沿うものとしては、当時私文書偽造等の嫌疑により被疑者として取調べを受けた被上告人自身並びに被上告人の従業員丸尾昌主及び岩坪(刑事公判廷における二回目の証言のみ)に係るものが存在するにすぎない。これに対して、右申入れの相手方であるとされる各株主に係る証拠関係を精査しても、右申入れの事実を認めるに足りるものは存在せず、各株主には、右申入れの事実を殊更に否定し、事実を歪曲しなければならない特段の事情は何ら認められないのである。また、当時、被上告人と同様に私文書偽造等の嫌疑により被疑者として取調べを受けていた被上告人の従業員岩坪は、捜査段階及び被上告人の刑事公判廷(ただし、二回目の証言を除く。)での供述を通じて右申入れの事実及びそれについて各株主の承諾を得た事実を明確に否定するか、あるいはこれらの事実について述べるところがないのである。岩坪は、かかる事実の存否について重大な利害関係を有しているのであり、自己に不利益な内容の供述をしていることになることはいうまでもない。

ちなみに、被上告人に係る刑事被告事件の判決(〈証拠略〉)においては、「証人岩坪慶直(二回)及び同丸尾昌主並びに被告人の当公判廷における供述中には、本件各委任状の作成前に、被告人、右岩坪慶直及び丸尾昌主が、前記山田桝夫他二六名に対しても本人に直接又はその家族を通じて以後株友会の目的遂行上必要な一切の書類への同人等の署名、捺印を被告人及至は株友会に任せられたいと申入れ、同人等からその許諾を得たとの趣旨の供述があるが、本項冒頭に掲記の各証拠と証人岩坪慶直(一回)の当公判廷における供述に照らすと、右各供述は、全面的には措信できず、その事実は、右被告人等から前記山田桝夫等に対しても概括的に株友会の活動に協力を求め、同人等からこれに賛同を得た程度のことに過ぎなかつたものと認めるのが相当である。」と正当に認定されている。

以上のとおりであり、原判決が被上告人、丸尾昌主及び岩坪(刑事公判廷における二回目の証言)に係る証拠を採用して右申入れの事実の存在を認定したのは、証拠の評価判断を誤ったものであるといわざるを得ない。

四1 次に、原判決の認定に係る前記(四)の「「株友会」の組織構成は、同年六月当時、委員長が原告、委員は岡田甲斐二郎ら一二名で、原告の番所商会にその事務所を設置し、前記各書面に署名押印した株主を「株友会」の会員として取扱い、その会員名簿等も作成した上、同年七月頃、これらの会員に対し、「過日参上した際に申し上げた加藤氏の不正について、取締役の責任を追及することに株友会役員の意見が一致しました。今後の具体的な処理については、強行手続をとるほかはないものと信じます。ついては、諸手続するのに今後相当数の記名押印を必要としますので、過日参上の節すでに御了承を得ておりますとおり、印鑑を作つて記名させて頂きますからよろしくお含み置き下さい。」との趣旨を記載した「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)を、次で同年八月頃に「去る三九年の大阪、京都の子会社における加藤氏の前記疑惑については、大阪地検で明らかに業務上横領罪に当るとの裁定があつたのに、本社の株主総会では「白」であつたと虚偽の報告をしており、また右事件以外にも同人の不正の事実を感知しているので、これ以上野放にしておれば我々の財産である株を鼻拭紙同然にされる虞れが多分にある云云」とする株友会名義のビラ(〈証拠略〉)を「訴外会社の運営改善に関する解決までの一切の権限を原告に与える。」旨の委任状(〈証拠略〉)とともに順次送付した。」については、原判決の認定判断に誤りがある。

すなわち、株友会会員に対して昭和四二年七月ころ「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)が送付された事実はないのであって、右送付の事実があるとする原判決の認定判断には誤りがある。

2 「株友会会員各位」と題する書面には、日付として「昭和42年7月 日」、作成者として「淡路交通株友会代表 番所五平吉外11名」と記載されており、その内容は、「暑中御見舞申上げます 1経過報告させて頂きます 過日参上致しましたときに申上げました淡路交通株式会社専ム加藤友保氏の不正に就いて取締役の責任を追求することに株友会役員が意見の一致を見ることに到りました 2今後の具体的処理に就きましては強行手段を取る外は無いものと信じます 諸手続するに就いての記名捺印は今後相当数を要しますので過日参上の節御了承得て居ります通り印鑑を作って記名させて頂きますから宜ろしくお含み置き下さい 使用しました印鑑は事件解決次第お返し致します(上告代理人注・3以下省略)」などとなっている。

右書面の「諸手続するに就いての記名捺印は今後相当数を要しますので過日参上の節御了承得て居ります通り印鑑を作って記名させて頂きますから宜ろしくお含み置き下さい」の「過日参上の節」とは、原判決が前記(三)で認定している、被上告人の指示で同人の従業員岩坪らが昭和四二年八月中旬ころまでに各株主宅を訪問したことを指すことは明らかであるところ、前述のとおり、その際、右従業員らが各株主に対し、「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実は認定し得ないのであるから、右書面中の「御了承得て居ります」との部分は真実に反するものというべきであり、右書面は、被上告人が、昭和四二年八月中旬ころ以降に弁解の目的で作成し、株友会会員には送付しなかったものと推認される。

3 原判決の認定事実によると、被上告人は、昭和四二年七月ころ「株友会会員各位」と題する書面を各株主に送付し、同年八月中旬ころまで同人の従業員をして各株主宅を訪問させて、各株主から帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書の署名・捺印を受け、さらに、同月ころ株友会名義のビラ(〈証拠略〉)を各株主に送付したことになる。

ところで、「株友会会員各位」と題する書面は、その記載内容に照らして、被上告人が各株主から記名と捺印の代行について了承を得た後に作成されたものと考えられるが、原判決の前記(三)の認定事実を前提にすれば、被上告人の従業員岩坪らが各株主宅を訪問して、帳簿閲覧請求書や検査役選任申請書に署名・捺印を受け、被上告人に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申し入れた最終の時期は、昭和四二年八月中旬ころであるというのであるから、「株友会会員各位」と題する書面が送付されたとする同年七月ころより更に後のことになってしまうのである。このように、原判決の認定判断自体に重大な矛盾があり、この点からも、被上告人が「株友会会員各位」と題する書面を送付した事実があるとする原判決の認定判断は誤りであるといわざるを得ない。

また、株友会名義のビラ(〈証拠略〉)は、被上告人が同年八月(同号証では八月二四日付けになっている。)株友会会員に対して送付した書面で、その内容は「残暑御見舞申上げます」から始まり、「過日は当「淡交」株友会に対し御協力賜はり一同感謝致しております」という記載がある。右記載に徴すると、右ビラは、帳簿閲覧請求書等に署名・捺印をした各株主に対する感謝と残暑見舞いの趣旨で送付されたものと解される。また、右ビラの「其之後の経過報告に就きまして延引致しまして申し訳ございません、本日御報告させて戴く事に致しました。」との記載その他の記載内容からみて、右ビラは、被上告人が同年八月中旬ころまでに帳簿閲覧請求書等に各株主の署名・捺印を受けた後、各株主に対して送付した最初の書面と推測されるのであって、したがって、それ以前に被上告人が日付がなく、手書きで内容の乏しい「株友会会員各位」と題する書面を送付することはあり得ないのである。さらに、右ビラには、前記のとおり「其之後の経過報告に就きまして延引致しまして申し訳ございません」との記載があるが、仮に被上告人が同年七月に「株友会会員各位」と題する書面を各株主に送付していたとすると、右のような記載がされることは到底考えられないことである。

4 以上のとおりであり、株友会会員に対して昭和四二年七月ころ「株友会会員各位」と題する書面が送付された事実がないのは確実であり、原判決が右事実の存在を認定したのは、証拠の評価判断を誤ったものであるといわざるを得ない。

五1 さらに、原判決の認定に係る前記(九)の「ところで、本件仮処分申請にあたり、後日問題とされた山田外二六名の弁護士に対する委任状は、いずれも原告においてこれをその使用人に指示して作成したものであるが、原告自身としては、右山田ら(但し、後日「株友会」の活動には関係していないことが判明した森しづかを除く。)も「株友会」結成の趣旨に賛同し、その目的遂行のため、これまで原告らとともに一連の活動(訴外会社に対する帳簿閲覧及び第一次仮処分の各請求等)に直接参加してきた同志であり、しかも、すでに前記のような「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)等も配布しており、記名押印の代行について異議なども特に聞かされていなかったことから、同人らも右委任状の作成を自分に一任(少くとも黙認)してくれているものと思い込んでいた。」については、原判決の認定判断に誤りがある。

すなわち、弁護士に対する委任状に名前のある山田桝夫ほか二六名(ただし(E)を除く。以下「山田ほか二五名」という。)が被上告人の「同志」である事実、「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)を配布した事実及び被上告人において山田ほか二六名が右委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいた事実は、いずれも存在しないのであって、右各事実が存在するとする原判決の認定判断には誤りがある。

2 原判決は、被上告人において、山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたことの理由として、山田ほか二五名は被上告人の同志であること、「株友会会員各位」と題する書面等を配布したこと、記名押印の代行について山田ほか二五名から異議なども特に聞かされていなかったことの三つを挙げている。

ところが、原判決は、被上告人において山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたことの理由として、原判決が前記(三)において認定した、被上告人の指示で同人の従業員岩坪らが各株主宅を訪問し、「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実を挙げていない。原判決の認定したところを前提とする限り、右事実は、被上告人の思い込みを最も明瞭、直接的に説明するものと考えられるにもかかわらず、原判決は、この部分の認定判断においては、右事実について言及するところがないのである。原判決の趣旨は、「(被上告人が昭和四二年八月中旬頃まで同人の従業員岩坪らをして各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は被上告人に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申し入れたが、)記名押印の代行について異議なども特に聞かされていなかった」というものであろうか。しかし、仮に右の趣旨であるとしても、右申入れの事実が存在しないことは、前述のとおりであり、これが被上告人の思い込みを説明する理由となり得るものではない。

3 原判決は、被上告人において、山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたことの理由の一つとして、山田ほか二五名は被上告人の「同志」であることを挙げているが、このような事実は存在しない。原判決は、「右山田ら(但し、後日「株友会」の活動には関係していないことが判明した森しづかを除く。)も「株友会」結成の趣旨に賛同し、その目的遂行のため、これまで原告らとともに一連の活動(訴外会社に対する帳簿閲覧及び第一次仮処分の各請求等)に直接参加してきた同志であ(る)」と認定しているところ、右「同志」の意味は、必ずしも明らかでないが、被上告人の淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求や仮処分申請等一連の活動について積極的に支持・支援をし、これに協力していた者のことをいうものと解される。

しかし、山田ほか二六名(森しづかを含む。)が、被上告人の一連の行動について積極的に支持等をしたり協力したりしていた事実はない。山田ほか二六名のうちの大部分の者については、本人又はその親族が、帳簿閲覧請求書(〈証拠略〉)及び検査役選任申請書(〈証拠略〉)に署名・捺印しているが、同人らがその他の株友会活動に関与していたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、山田桝夫らの捜査段階及び刑事公判廷における供述によれば、極めて消極的に被上告人の活動を支持していたにすぎないことが認められるのである。すなわち、被上告人が昭和四二年一〇月一日に開催した株友会集会(〈証拠略〉)には誰一人参加せず、また、被上告人が同年八月及び同年一〇月末にそれぞれ開催される臨時株主総会及び定時株主総会において使用することを目的として各株主に送付した委任状用の郵便葉書(前者に関するものとして〈証拠略〉)については、山田ほか二六名のうち、わずか木下茂のみが返送した程度であったのである(〈証拠略〉)。しかも、同年一〇月一六日ころ、被上告人らが淡路交通株式会社に対し帳簿閲覧請求をした際の株主四二名の中に、山田ほか二六名中の五名のみが参加したにすぎないのである(〈証拠略〉)。さらに、同年一一月八日、神戸地方裁判所洲本支部になされた第一次仮処分申請においては、山田ほか二六名のうち、木下茂、奥野英城及び河崎与一郎のわずか三名のみが申請人に名を連ねたにすぎず、しかも、右木下については、有効な訴訟委任がなされていないことなどを理由に被申請人から仮処分決定に対する異議が申し立てられ、その結果、執行停止決定がされているのである(〈証拠略〉)。

このように、積極的な支持・協力関係が存在しなかったことは、委任状が作成された後の被上告人らと山田ほか二五名の行動をみれば、更に明確であり、むしろ両者が対立し、被上告人やその息子の番所保らが委任状を無断で作成したことを謝罪したりさえしているのである。

田村忠嗣は、本件仮処分が申請された昭和四二年一一月二一日の数日後ころ、署名をもらいにきた番所保に対し、「あんたの来るのを待っとんたんや。人の名前を勝手に使って、三文判を使って委任状をつくって、それで通ると思うとるのか。」と言ったところ、番所保は、「偽造文書は、悪いことやけど本人から告訴せんと罪にならんと、告訴しないでくれと言う意味のことを言って居りました」と述べ(〈証拠略〉)、木下茂は、同日ころ、同人を訪ねてきた被上告人に対し、「これわしが書いて押した判か。わしはこんな判を押したおぼえはないぞ。わしはこんな弁護士に対する委任はしたおぼえはない。」などと言ったところ、被上告人は、「いやこれは前に押してもらった委任状にこのことも委任してもらったと思ってわしが勝手にやったんや。いやえらいすまなんだ。」「えらい勝手にしてすまなんだ。わしも金を使うてやっとることだし、後へも引かれんのや」などといったと述べ(〈証拠略〉)、村上明は、同日ころ、被上告人に対し、委任状の偽造について聞いてみると、被上告人は、「それは済まんことやったが、急いでいたので、私の方で勝手に作成したのです。」と謝ったと述べ(〈証拠略〉)、他の被偽造者の多くも同趣旨の供述をしているのである(〈証拠略〉)。

以上のとおり、山田ほか二五名が被上告人の一連の活動を積極的に支持・協力等した事実は存在しないのである。

また、原判決は、被上告人において、山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたことの理由の一つとして、「株友会会員各位」と題する書面等を配布したことを挙げているが、前記四において詳述したとおり、「株友会会員各位」と題する書面が株友会会員に送付された事実は証拠上認められないのである。なお、原判決は、「「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)等も配布しており」と認定しているところ、ここにいう「等」が何を指すのかは判文上明らかではない。仮に、それが株友会名義のビラ(〈証拠略〉)を指すとしても、右書面には委任状の作成を被上告人に任せたことをうかがわせるような記載は一切なく、また、仮に、それが株友会名義のビラに同封された委任状用の郵便葉書(〈証拠略〉)であるとしても、右各葉書に記載された委任事項の「淡路交通株式会社の運営改善に関する解決迄の一切の権限」とは、専ら淡路交通株式会社における臨時株主総会に関する権限を意味することは、関係証拠上明らかであって、右書面には委任状の作成を被上告人に任せたことをうかがわせるような記載は一切ない。

さらに、原判決は、被上告人において、山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたことの理由の一つとして、記名押印の代行について山田ほか二五名から異議などを特に聞かされていなかったことを挙げているが、そもそも、山田ほか二五名は、同人らの記名押印を被上告人が無断で代行することを企画しているなどとは全く知らなかったのであるから、異議等を述べるはずがないのである。

4 以上のとおり、原判決が、被上告人において山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいた事実を認定し得る理由として説示するものは、いずれも合理的根拠となり得ないものであり、他に右事実を肯認し得る証拠は存在しない。したがって、原判決が右事実の存在を認定したのは、証拠の評価判断を誤ったものであるといわざるを得ない。

六1 原判決の認定に係る前記(十二)の「ところが、担当検察官は、右被疑事件を同年暮頃まで約一〇か月余りもそのまま放置し、ようやく同年一二月に入ってから、すでに警察で取調済みの関係者ら(被偽造者とされた山田ら二九名のうち一三名と筆記者である被控訴人の使用人七名)を再度極く簡単に取調べた上(これらに対する検察官調書はいずれも僅か二、三枚程度にすぎない。)、被控訴人について、有罪と認められる嫌疑の存在は動かし得ないと速断して、年の暮も押し迫つた同月二四日に、原告本人をごく短時間取調べ、弁解したい点があれば供述書を提出するように促し、その提出を見越して予め『弁解したい点は只今提出しました供述書記載の通りであります云々』と記載した要約程度(数枚)の供述調書を一通作成しただけで、これに同月二六日被控訴人が持参した供述書(〈証拠略〉)を添付し、翌二七日急遽本件起訴に及んだものである。」については、原判決の認定判断に誤りがある。

2 一般的にみると、常時多数の捜査事件を担当している検察官としては、順次、各事件を捜査・処理する場合、まず緊急性の高いいわゆる身柄事件を優先する。一方、本件のようないわゆる民事紛争に端を発し、告訴・告発にかかるような送付事件の場合は、告訴・告発人側の関係者の供述等の証拠を一方的に重視して判断すべきではなく、送付記録及び証拠物に基づいて警察捜査の結果を慎重に検討し、問題点の把握整理と捜査方針の策定をした上で、いわば二次的・補充的な捜査に着手するのが通常である。したがって、本件の場合のように、送付受理後一〇か月(ただし、担当検察官としては、約八か月)を経過した後、関係者の取調べに入ったことをもって「約一〇か月余りもそのまま放置し(た)」と一方的に断定するのは、検察実務に対する評価として妥当ではないといわざるを得ない。本件において、担当検察官は、事件の性質、内容、態様等に照らして多数の関係者を一斉に集中的にかつ能率的に取り調べることが最も妥当であると判断し、他事件の処理状況、警察の捜査内容、補充すべき捜査事項等を総合的に判断した上、本件関係者の取調開始時期を決定し必要な捜査を行ったものである。本件では、担当検察官のその当時の執務の実情に関しては一切審理が行われていない。それにもかかわらず、原判決が「すでに警察で取調済みの関係者ら(被偽造者とされた山田ら二九名のうち一三名と筆記者である被控訴人の使用人七名)を再度極く簡単に取調べた上(これらに対する検察官調書はいずれも僅か二、三枚程度にすぎない。)」と認定しているのは、誤解に基づいて一方的に判断したものといわざるを得ない。本件においては、既に警察の捜査の段階で必要な証拠が十分に収集されていたことから、担当検察官としては、いわば二次的・補充的な捜査をすれば足りたのであって、「すでに警察で取調べ済みの関係者ら」だけの取調べをしたのは、むしろ当然のことであったといえるのである。また、原判決は、「検察官調書はいずれも僅か二、三枚程度にすぎない」としているが、右検察官調書は、いずれも担当検察官が関係者を取り調べた結果、警察の捜査段階における供述内容と同旨であることを確認し得たことから、それを明確にするために作成されたものであることはいうまでもない。さらに、原判決は、その判文の趣旨に照らすと、「被偽造者とされた山田ら二九名」については、担当検察官においてその全員ないし大部分の者を取り調べるべきであったと考えているものと解される。しかし、担当検察官は、被偽造者とされた者のうち一三名を取り調べた結果、被偽造者二九名全員について作成されていた警察の捜査段階における供述録取書の記載内容の真実性を確認することができたことから、それ以上他の者については取調べをしなかったものである。このような場合、担当検察官としては、捜査の必要性に加えて、被害者である被偽造者が取調べを受けるために検察庁等に出頭することによる有形無形の損失、他事件の処理状況等についても当然に配慮しているのである。その上、原判決は、担当検察官は偽造文書の筆記者について、「筆記者である被控訴人の使用人七名」だけを取り調べたと認定しているが、担当検察官が取り調べた偽造文書の筆記者は八名であり(〈証拠略〉)、原判決は、偽造当時、被上告人の使用人を辞めていた平上泰正(〈証拠略〉)を見落としているようである。そのほか、担当検察官は、被偽造者とされていない株主の北山さき子(〈証拠略〉)及び偽造文書の筆記者ではない被上告人の従業員である岩坪(〈証拠略〉)を取り調べているのに、原判決は、担当検察官が右両名を取り調べたことを何ら認定していないのであって、正当とはいい難い。

3 原判決は、担当検察官が昭和四三年一二月二四日被上告人を「ごく短時間」しか取り調べていないと認定し、検察官の捜査が不十分であったことの一根拠としているようである。しかし、右取調べによって作成された被上告人の検面調書(〈証拠略〉)の供述録取部分は、実質的には九ページであって、取調べの内容も重要な項目に及んでおり、所期の目的を達成したものということができる。

ちなみに、検面調書は、検察官が被疑者等に対して種々質問した結果に基づき、被疑者等の供述内容を検察事務官に口授して筆記させ、これを終えると被疑者等に読み聞かせ、あるいは閲読させて、内容に誤りのないことを確認した上で筆記部分の次の行に署名・捺印させる方法で作成されるものであるが、被上告人は、〈証拠略〉の各公判調書並びに原審及び第一審における被上告人の本人尋問の結果からもうかがわれるように、自己の認識するところについて積極的に主張するタイプの者であり、かつ、昭和四三年一二月二四日の取調べの際は、右のように担当検察官において、被上告人から事情を聴取したが、同人が更に弁解主張をする態度を示したことから、述べたいことを書面にして提出するよう求め、同月二五日ころ、被上告人が持参した供述書の提出を受けてこれを調書末尾に添付し、これを前提として更に同人の弁解をも聴取して前後一体としての聴取を完了するという方法で検面調書(〈証拠略〉)を作成したというのである(〈証拠略〉)から、担当検察官としては、二日にわたって相応の時間と手間をかけて、被上告人を取り調べたと認められるのである。なお、被上告人は、担当検察官による取調べの事実自体を否定し、「供述書(〈証拠略〉)を受け取るのに必要だといわれ、白紙の罫紙に求められるままに署名捺印した」などと述べているが(〈証拠略〉)、刑事公判廷においては、検面調書の任意性を全く争わず、むしろ、昭和四八年二月七日に行われた第三一回公判では、裁判長の質問に対し、検面調書の内容は「大体間違いない」と述べ、弁護人の質問に対しても同調書の内容である「株友会の人々には無断で」委任状を作成したのは、調書に記載してあるとおりである旨答えているのである(〈証拠略〉)。この一事をもってしても、検面調書の作成目的が達成されていることは明らかである。

原判決は、被上告人の検面調書を「要約程度(数枚)」にとどまるものと評価しているけれども、当時担当検察官の手元には、六通の極めて詳細な被上告人の司法警察員に対する面前調書が送付されていたのであって(〈証拠略〉)、右調書には、株友会の設立経緯、その構成、活動歴を始め、白紙委任状、帳簿閲覧請求書たる連名委任状、臨時株主総会・定時株主総会の委任状等を株主から徴した経緯、淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求から本件仮処分に至るまでの経緯、本件委任状作成の動機・状況等が詳細に述べられ、被上告人の弁解等に関しても、捜索差押により押収した証拠及び被上告人から任意に提出された証拠を逐一被上告人に示しながら録取されていたのであるから、これらの関係証拠を念頭に置いて必要な範囲内において検面調書が作成されたことはいうまでもないことである。

4 以上のとおり、原判決の前記(十二)の事実認定は、証拠の評価判断を誤ったものであるといわざるを得ない。後に詳述するとおり、本件において、担当検察官は、起訴時に存在したすべての証拠資料を総合し、合理的に判断した上で起訴したものであって、そこには何ら責められるべき点は存しない。

七1 原判決の認定に係る前記(十三)の「原告は担当検察官から右取調べを受けた際も、警察での供述と同様の弁解をしており、しかも、これを裏付ける「株友会」関係の証拠書類まで多数持参していたが、担当検察官は、原告のする弁解は動機の錯誤で単なる情状にすぎないと考えて、これらの書類を一瞥もせずに、そのまま原告に即時持ち帰えらせた。右供述書には、そのはじめに『私の真意を参考資料を付して左に申し述べます。』との記載があり、本文中で随所に多くの証拠(〈証拠略〉)を挙示、引用しているが、担当検察官は、右供述書を通読しただけで、これらの証拠を被控訴人に持参させて検討することはなかった。」については、原判決の認定判断に誤りがある。

すなわち、被上告人が昭和四三年一二月二四日に担当検察官の取調べを受けた際、被上告人が同人の弁解を「裏付ける「株友会」関係の証拠書類まで多数持参していた」事実はないのであって、原判決の認定判断には誤りがある。

2 原判決がいうところの被上告人の弁解を裏付ける株友会関係の証拠書類とは、原判決の判文に照らして、被上告人が本件仮処分申請のために作成した委任状の各株主の署名・捺印を被上告人の従業員に代行させたことについて、被上告人が各株主から署名・捺印の代行を一任ないし黙認されているものと思い込んだ原因あるいはそれを裏付ける証拠書類で、株友会の活動に関係するものを指すと推測されるが、それが具体的にいかなる書類であるかについて、原判決は何ら明らかにしていない。右証拠書類が現実に存在するのであれば、本件における争点の判断、ひいては本訴請求の帰趨に極めて重大な影響を与えることは多言を要しないところである。したがって、原判決がそれを具体的に明らかにしていないのは、理由説示として、不備であるといわざるを得ない。

右証拠書類は、原判決の文脈からすると、原判決が「(供述書の)本文中で随所に多くの証拠(〈証拠略〉)を挙示、引用している」としている供述書(甲第一〇号証)で引用されている書類を指すとも解せられ、供述書の内容から判断すると、それは「第三号証」であるということになる。しかし、「第三号証」は、供述書の内容や本件における経過に照らすと、甲第一三号証の帳簿閲覧請求書のことと解すべきところ(なお、「第三号証」が甲第一一号証の株友会設立に付いての規約及び甲第一二号証の株友会規約でないことは、後に述べるところから明らかである。)、帳簿閲覧請求書には、被上告人の思い込みの原因となり得るような記載内容はなく、また、それが「「株友会」関係の」書類といい得るか疑問であり、しかも、帳簿閲覧請求書については本件捜査段階において既に被上告人から任意提出され、捜査間において検討済みであったのであるから、右証拠書類ではないのである(〈証拠略〉)。

ところで、本件に現われた全証拠中、被上告人が各株主から署名・捺印の代行を一任ないし黙認されているものと思い込んだ原因ないしそれを裏付ける書類として可能性があるものは、甲第三三号証の「株友会会員各位」と題する書面、甲第一一号証の株友会設立に付いての規約及び甲第一二号証の株友会規約である。しかし、「株友会会員各位」と題する書面は、前記四で述べたとおり、被上告人が弁解のために作成したもので、実際に各株主に送付されたことはなかったのであり、また、供述書(〈証拠略〉)で引用されている書類中に該当するものが見当たらないので(なお、強いて該当するものを探すと「第三号証」であろうが、「第三号証」が甲第一三号証の帳簿閲覧請求書であることは既に述べたとおりであり、結局、該当するものはない。)右証拠書類でないことは明らかである。

株友会設立に付いての規約(甲第一一号証)及び株友会規約(甲第一二号証)は、刑事被告事件の判決で、被上告人が事実の錯誤に陥っていたと認定され、無罪判決の決め手になったと考えられる証拠であり、原審及び第一審においても、その作成者及び作成時期等が極めて重要な争点となったものである。それにもかかわらず、原判決は、前記(一)ないし(十五)の中では、「(被上告人の番所商会が捜索差押えを受けた際に、)問題の株友会規約は押収されていない」とか、「問題の株友会規約は、当該公判廷においてはじめて弁護人側から証拠として提出された」と認定しているだけで、それ以上右両書面に関する認定判断を加えておらず、前記(一)ないし(十五)の事実認定に供した証拠中にも、甲第一一、第一二号証は含まれていないのである。したがって、原判決が、右証拠書類に株友会設立に付いての規約及び株友会規約を含めていないことは明らかというべきである。

そうとすれば、原判決は「(被上告人の弁解を)裏付ける「株友会」関係の証拠書類まで多数持参していた」と認定しているが、右証拠書類は現実には存在しないのであって、そもそも、被上告人が持参し得るはずはないから、原判決の認定は誤っているといわざるを得ない。

3 原判決は、右のような誤った認定事実を前提にした結果、「(担当検察官は)これらの書類を一瞥もせずに、そのまま原告に即時持ち帰えらせた」と重ねて誤った認定をしたのである。

なお、仮に原判決認定のとおり、担当検察官が、「一瞥もせずに、そのまま原告に即時持ち帰らせた」証拠書類の中に、真実、被上告人について、有印私文書偽造等の故意を阻却すべき有利な証拠(本件委任状を作成する権限の付与を証する書面)が存在していたのであれば、被上告人及びその代理人の仙波弁護士ほか二名は、第一次仮処分決定に対して昭和四二年一一月一四日付けで執行停止決定(〈証拠略〉)がなされた際でも、本件仮処分申請をして被上告人ら(申請人ら)の同月二一日付け上申書(〈証拠略〉)を提出した際でも、さらに、それに対して同月二四日付け執行停止決定(〈証拠略〉)がなされた際でも、当該証拠を、神戸地方裁判所洲本支部に対し、偽造事実を否定する重要証拠として提出し、あるいは当該証拠の存在を主張するのが当然であると考えられるにもかかわらず、被上告人及びその代理人が、このような行為に出た形跡は全くないのである。また、右仙波弁護士ほか二名が、捜査機関に提出したと思われる答申書(〈証拠略〉)においても、当該証拠に触れたところは全くないのである。

また、原判決は、「担当検察官は、原告のする弁解は動機の錯誤で単なる情状にすぎないと考え(た)」と認定しているところ、右表現は、担当検察官の証言内容に一見沿うもののごとくである。しかし、本件において本来民法の概念である動機の錯誤が問題になる余地はないし、担当検察官の証言の真意は、被上告人の弁解が故意の成否とは法律上関係のない単なる動機的なものにすぎないことから、これを情状として考えたというにあるのであって、この点においても、原判決の認定は不適切であるといわざるを得ない。

4 以上のとおり、原判決の前記(十三)の事実認定は、証拠の評価判断を誤ったものといわざるを得ず、担当検察官が起訴に当たって必要な証拠資料の収集を怠ったことはないのである。

八 以上のとおり、原判決の事実の認定判断には、経験則違背ないし採証法則違背又は理由不備若しくは理由の食い違いの違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点 国家賠償法一条一項の「違反」の解釈適用の誤り等について

原判決が検察官の公訴提起に係る違法の判断基準について判示するところは、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項の「違法」の解釈適用の誤り又は理由不備若しくは理由の食い違いの違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決は、検察官の公訴提起に係る違法の判断基準について、次のとおり判示している。

「公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならず、公訴提起時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証とは必ずしも一致するものではないから、結局のところ、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑が存在する場合にのみなされるべきものと解するのが相当であり、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで、直ちに公訴の提起が違法となることはないというべきである(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)。

すなわち、換言すると、検察官は右のような嫌疑が存在する場合に限って公訴を提起すべき職務上の義務があるのであって、公訴提起時を基準として事後的に審査し、検察官が当該事案の性質により当然なすべき捜査を怠り、証拠資料の収集が不十分なため、あるいはその収集は十分であつても、証拠の証明力の評価の仕方について、通常考えられる個人差を考慮に入れても、その評価、取捨選択を誤るなどし、有罪の判断が行きすぎで、経験則、論理則上からして、とうてい首肯し得ない程度に不合理な心証形成をなし、その結果、客観的にみて有罪判決を得られる見込みが十分とはいえないにもかかわらず、あえて公訴を提起した場合には、当該行為は違法であるとの評価を受けるものと解するのが相当である。」(原判決三九丁一一行目から四〇丁表一一行目まで)

右の趣旨は必ずしも明確であるとはいい難いが、判決の趣旨が、検察官の公訴提起に係る違法の判断基準として、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して、有罪と認められる嫌疑が存在するとして公訴を提起した検察官の判断が経験則、論理則上からして、到底首肯し得ない程度に不合理な場合、すなわち、検察官の判断が著しく合理性を欠くことが明らかな場合には、公訴提起が違法になるとするのであれば、それは正当であるというべきである。しかし、原判決は、右判示に続いて、「客観的にみて有罪判決を得られる見込みが十分とはいえないにもかかわらず、あえて公訴を提起した場合には、当該行為は違法であるとの評価を受けるものと解するのが相当である」と判示しており、これが客観的にみて有罪判決が得られる見込みが十分とはいえない場合には、違法になるという趣旨であれば、前述の判断基準とは異なるものになると解される。すなわち、前者では、検察官の判断が著しく合理性を欠くことが明らかであるか否か、換言すれば、検察官の判断の合理性を右基準で審理判断するのに対し、後者では、客観的にみて有罪判決を得る見込みが十分とはいえないか否か、換言すれば、裁判官自らが検察官と同一の立場において起訴時の証拠資料を総合勘案し右基準で審理判断するものであると解される。

したがって、原判決の右の点に関する判示は、結局、国賠法一条一項の「違法」の解釈適用を誤り、又は理由不備若しくは理由の食い違いの違法を犯しているものといわざるを得ない。

そこで、以下において、検察官の公訴提起に係る違法の判断基準はいかにあるべきかについて検討する。

二 最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七ページ(以下「芦別国賠最高裁判所判決」という。)は、上告代理人が、上告理由として、無罪判決が確定した場合には、特別の場合を除き、捜査、訴追は違法であったと判定されるべきである旨主張したのに対し、次のとおり判示している。

「しかし、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留、公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法となるということはない。けだし、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められるかぎりは適法であり、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるからである。」

右判決は、最高裁判所として初めて職務行為基準説を採ることを明らかにしたものである。また、証拠資料の変動との関係については、「無罪判決が確定した場合には、判決時と捜査、公訴の提起・追行時で特に事情を異にする特別の場合を除き、捜査、訴追は違法であったと判定されるべきである」とする上告理由を排斥した本判決は、捜査・訴追時と判決時との間の証拠資料の変動という特段の事情の有無を問わず、一般的に、無罪判決の確定から、直ちに捜査・訴追が違法であるとすることはできない、としたものと解される(篠田省二・最高裁判所判例解説昭和五三年度三六事件四七〇ページ。)

さらに、右判決は、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度については、有罪判決に要求される嫌疑の程度より低いもので足りるとしている。右公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度については、(1)一応の証拠があればそれで起訴してもよいとする見解、(2)有罪判決の得られる可能性、すなわち、検察官の主観においてはもちろん、客観的にも犯罪の嫌疑が十分であって、有罪判決を期待し得る合理的根拠の存在することが必要であるとする見解、(3)有罪判決を期待する嫌疑事実のあることを要するのはもちろん、その期待が確信の程度に高められることを要するとする見解があるが、右判決は、右(2)の見解に立脚しているものと解される(前掲最高裁判所判例解説)。すなわち、検察官の行う起訴は、裁判所の有罪判決による刑罰権の実現を目的とするものであるから、起訴するに当たっては、右目的達成の見込みがあること、具体的には、有罪判決を期待し得る合理的根拠の存在することが必要であるとされている。

三 ところで、右判決は、検察官の職務行為の違法の判断基準については、直接判示するところがない。しかし、前述のような判旨の意義、内容から判断すると、検察官の公訴提起が国賠法上違法とされるのは、起訴時における証拠資料を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠くことが明らかである場合をいうものと解するのが正当である。そして、右違法判断においては、裁判官が捜査官である検察官と同一の立場から嫌疑の有無等を判断すべきではなく、検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠いていることが明らかであるか否かを審理し判断すべきものである。このような判断基準及び判断手法が要請される理由は、後述するとおり、検察権行使の主体である検察官の職務行為の本質ないし特質に由来するものである。

すなわち、国家は、社会の秩序を維持する手段としての刑罰権を有するが、これを行使すべきかどうかを、国家機関である検察官の判断にゆだねている。検察官には、その判断の前提として犯罪の捜査をする権限が認められる。検察官は捜査の結果に基づいて刑罰権を行使すべきかどうかを判断する。もし、検察官が消極に判断したときは、原則として刑罰権が行使されることはない。しかし、検察官が積極に判断したときも、直ちに刑罰権の内容が実行されるわけではない。検察官によって刑罰権の行使についての発議(起訴)が行われる。裁判所は、不告不理の原則の下に刑罰権の有無及び限度を判定する。最後に、検察官は裁判所の判定によって具体化された刑罰権の内容を実行する。この刑罰権実現の過程は、検察権の国法上に占める地位の重要さを示している。検察権は、刑罰権の行使という国家目的を追求する一つの行政作用を営むもので、その本質上行政権に属するが、他方において司法権と密着し、司法的性質をも極めて濃厚に併有するものである。したがって、裁判官が検察官と同一の立場から嫌疑の有無、程度等を判断することは、このような検察官の職務行為の本質ないし特質を無視ないし軽視するものであり正当ではないというべきである。

ちなみに、右判決は、「所論(上告代理人注・いわゆる芦別国賠事件上告代理人杉之原舜一外一七六名の上告理由第一三の部分記載の主張を指す。右部分中には「原判決は、さすがに、国民に被害を及ぼした権力行使については、その適法性を国家の側において証明しない以上は賠償の責任が生ずるとせざるをえなかったものの、結局、犯罪立証の可能性が存在したという官憲の判断が自由心証の個人差を考慮して、なおかつ行きすぎて論理則等に違反していなければ違法ではないという理屈のもとに、本件権力行使の適法性をむりやりに認定してしまつた。何とかして、違法の範囲を極めて狭く限定し、国家責任を免除しようとするための姑息な手段というほかない。」との記載がある。)は、原判決は国家賠償法一条の解釈を誤り、憲法一七条の要請に背いたものである、というのである。しかし、所論の点に関する原審の判断は、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、右違法があることを前提とする所論違憲の主張は失当である。論旨は採用することができない。」としており、正当として是認された原判決(札幌高等裁判所昭和四八年八月一〇日判決・判例時報七一四号一七ページ)は、次のとおり判示している。

「しかし、刑事事件において結果として無罪の判決が確定したというだけで、直ちに右の違法ということはできない。刑事訴訟法は、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義を採用しているから、人によって証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、一定の証拠によって形成される心証の態様・強弱の程度についても、ある程度の個人差が生じることを避け難い。裁判官と検察官との間においても、立場の相違から、証拠の見方や心証の強弱に差異がないとはいえない。それ故、裁判官が審理の結果、犯罪事実につき証明なしと判断して無罪の判決をした場合でも、これによって直ちに警察官または検察官のした逮捕・勾留、公訴の提起および、その維持・追行などの権力行使が違法であるとはいえない。これらの権力行使が違法であるというためには、警察官または検察官の判断が、証拠の評価について通常考えられる右の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照して、到底その合理性を肯定することができないという程度に達していることが必要である。」

四 前述のとおり、検察官の公訴提起が国賠法上違法であるか否かを判断する基準としては、有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠くことが明らかな場合をいうものと解すべきであり、かつ、違法判断に当たっては前述のような判断手法によるべきであるが、その理由を更に詳述することとする。

1 まず公権力の行使は、本来国又は公共団体の統治権に基づく優越的、高権的な意思作用であるから、それを行使すれば多くの場合国民の権利侵害を伴うこととなるが、右侵害は公権力の行使の根拠法規それ自体において予定され、許容されているところのものである。したがって、公権力の行使による権利侵害の事実をもって直ちに違法評価の基準とすることは正当でなく、当該権利行使の根拠法規(行為規範)の目的、内容等に照らし、当該権利侵害が法の予定している行為の種類、性質、態様を逸脱しているか否かを違法判断の基準として判断すべきである。要するに、国賠法一条一項の違法とは、究極的には他人に損害を加えることが当該行為規範に照らし法の許容するところかどうかという職務義務違反性をいうものと解すべきである。芦別国賠最高裁判所判決等により判例法理として確立されている職務行為基準説は、このような違法概念を当然に前提としているものと解される。

2 右のような違法概念を前提とした上で、検察官の公訴提起についての違法の判断基準を考えるに当たっては、検察官の職務行為の本質ないし特質を検討する必要がある。

検察権は、一面、法を執行する機能としてその本質上行政権に属するが、反面、公訴権が裁判に直結し、裁判と同様の司法的性質を有するため、検察権は行政権と司法権との両面の特徴を有している。したがって、これを行使する機構としての検察官及び検察庁もまた、その両者の特徴を有することになる。

近代の社会的生活体は、その機能が複雑化、広範化するに従って分業の原則により組織化され、上下に決定、管理、実施の各機関が分離し、左右に事務の性質と地域の区分に従って分配が行われ、それぞれが結合と連結によって結ばれた有機的な一つのピラミッド型組織体を形成する。純粋な行政各部は、その行政部門の目的達成のため、各省大臣を頂点とする一つのピラミッド型の統一体となっており、その典型を示しているといえる。

これに対し、司法部門は、裁判事務の性質上、その公正を担保するため他から独立してその職務を行うことができるようにされなければならないという要請があり、本来、組織体の形成になじまない性質のものである。したがって、裁判所の組織は、単に審級、事物、土地等の管轄による分業があるだけで、組織体の形成はなく、独立した裁判所という個々の官庁を形成するにとどまっている。

検察官及び検察庁は、行政と司法との両性質を併有する機関であるため、その組織と機能も両者の特徴を併有している。検察制度に組織を必要とする理由は、公の秩序の維持と人権の擁護という国家目的を統一的に達成する必要があること及び内閣の責任行政の一環として、行政責任者である法務大臣に責任と権能とを同時に与える必要があることにある。一方、検察制度に独立を必要とする理由は、検察権の行使が他の勢力、殊に時の政治権力等から不当に影響されないために、それを検察部外の者の指揮命令にかからせず、検察官の身分を保障して他からの間接的圧迫からも保護する必要があること及び検察官の個々の権限行使による職務行為の効力を他の内部的条件にかからせない必要があることにある。

3 検察官は、捜査を主宰し、その帰結としての公訴提起を行うべきか否かを判断するに当たっては、論理則、採証法則及び経験則にのっとって証拠の充足の有無を判断するとともに、その取捨選択、評価をし、自由心証に基づいて事実を認定した上、これに関係法令を解釈適用して結論を導き、合理的な判断過程に基づいて有罪と認められる嫌疑があるか否か等を判断して事案を処理するのであり、公訴提起は、その結果、有罪と認められる嫌疑が存在する場合に限ってこれをなすべきものであることはいうまでもない。

このように、検察官が公訴提起に際して行う判断作用、判断過程は、事案の性質、内容、態様、社会的影響等のいかんによっては極めて複雑多様であって、証拠の評価も一義的に明白で疑問の余地がない事案はむしろ存在しないといっても過言ではない。そして、検察官の職務は、前述のとおり、司法的性質を濃厚に併有するものであるから、その意味においては裁判官の行う証拠評価、事実認定及び法令の解釈適用と極めて類似した性質を有するものである。しかも他面において、検察官は、刑罰権の行使という国家目的を追求する行政作用としての検察権行使の主体であり、その本質に由来する専門性、裁量性等を有することは明らかである。したがって、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決に要求される嫌疑の程度より低いもので足りるのであり、このことは既に芦別国賠最高裁判所判決により確認されている。

4 検察官が起訴、不起訴を決定する前提として行う証拠の取捨選択、証拠価値の判断及び事実認定は、自由心証にゆだねられており、当該検察官の識見に基づいて正当と信ずるところに従ってなされるべきものである。

そして、検察官は自ら事実を認定し、法令の解釈適用を行って法の目的を実現すべき立場にあると同時に、刑事事件の当事者の一方として裁判官に法の具体的適用を求める訴追者であり、有罪と認められる嫌疑が存在する場合に限って公訴提起をすべきものである。しかし、有罪と認められる嫌疑といっても、それ自体明確であるとはいえず、前述のとおり、証拠の評価には多様性があり、判断する者により差異の生じることは避け難いのである。要は、当該検察官の公訴提起に当たっての心証形成に合理性が存するか否かという観点から、違法性を判断すべきである。

5 いうまでもなく、刑事裁判は、捜査段階において有罪と認められる嫌疑があるとして訴追された事件について、果たして右嫌疑が真実存在するか否かを訴訟上確定する制度である。公訴提起によって開始された公判手続が第一審の無罪判決によって終了し、あるいは下級審の有罪判決が上訴審において取り消されたとしても、更に有罪の確定判決が再審等によって取り消されても、それがために当該公訴提起や有罪判決等が当然に国賠法上違法となるものではない。公訴提起から第一審判決、控訴審判決、上告審判決、さらには再審判決に関与した複数の裁判官及び検察官が、それぞれの見識と素養、経験等に基づき、その信ずるところに従って判断した結果、様々な結論が示され、究極において刑事裁判手続のルールにのっとり、最終判断をもって具体的法規範の適用を終えた場合には、裁判制度は、本来の機能を果たしているということができる。検察官が証拠資料を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があると判断しても、それは裁判の予測であり、予測を誤ることがあり得るのである。刑事裁判制度は、本来このような事態の生じることを当然に前提し許容していると解される。

6 ところで、最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決・民集三六巻三号三二九ページは、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。」と判示している。右判決は、裁判官がした争訟の裁判について違法の判断基準を示したものである。

裁判官は、裁判官としての客観的良心ないし裁判官の職業倫理に従い、憲法、政令、規則、条例、慣習法等の客観的法規範を含む全法体系の中から、当該事案に適用されるべき法原理を発見し、自己の信ずるところによって結論を導くのであり、この職責を全うするためには、その前提として裁判官の独立が不可欠の要件となることはいうまでもない。そして、この裁判官の独立を貫徹するためには、裁判官の職務権限の行使に干渉し、圧力を加え、影響を及ぼし又はこれを制限するおそれのある行為は極力排除されなければならない。裁判官が職務権限の行使として自己の識見、理念に基づいて誠実に行った事実認定や法令の解釈適用等の判断に対し、国家賠償請求事件担当の裁判官から、右事実の認定が単に論理則、採証法則又は経験則等に違背しているとか、法令の解釈適用に過誤がある等として、右判断を違法と評価されることを許すのは、裁判官の独立を保障する憲法の精神に背ちする。さかのぼれば、そもそも何が正しい事実認定で、正しい法令の解釈適用かということ自体が問題なのであって、判断の当否は、上訴、再審等の当該訴訟手続内における不服申立手続を経て、上訴審等の再審査を受け、判断が異なる場合は是正されることが制度上予定されているのである。このようにみてくると、違法性の判断に当たっては、当該職務行為の性質・内容(判決・決定等の区別、訴訟手続・執行手続・競売手続・破産手続等の種別及び事実認定又は法令の解釈適用における困難性の程度等)、不服申立手続の有無、当該裁判確定の事情(上訴等につき当事者の帰責事由の存否)等の諸事情を総合的に考慮した上、裁判官の職務権限の行使が著しく不当、不法であって、かつ、合理性のないことが一義的に明らかな場合であるか否かを基準として決定すべきであると考えられる。

右判決の趣旨も、このようなものとして理解することができ、検察官の職務行為は、裁判官の職務行為とは質的に異なる面があることはもちろんであるが、前にも述べたように、検察官は、国家の刑事訴追機関として公訴権を独占し、その権限行使の適正を期するため捜査を行い、訴追官として訴訟を遂行するとともに裁判の執行を指揮監督するなど、刑事裁判運営の中核的機能を担って活動しているのであって、これが正に検察官の職務行為であるから、その本質ないし特質として司法的性質を有していることは明らかである。かかる意味においては、裁判官の職務行為と共通する部分があるのであって、右最高裁判所の違法の判断基準も十分参酌されるべきである

7 原判決は、仙台高等裁判所昭和六一年一一月二八日判決・判例時報一二一七号三九ページについて、「前記仙台高等裁判所の判決は、再審無罪となった刑事手続につき国賠法上の責任事由が認められないとされた事例であって、事案を異にし本件に適切でないばかりでなく、争訟の裁判に限定して違法判断基準を判示した最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決を、刑事の裁判にもそのまま妥当するとして、国賠法上の責任が肯定されるためには、「当該検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴の提起追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情があることを必要とする」と判示するものであるが、刑事訴訟と民事訴訟とは、審理手続、裁判官の役割という点においては類似であっても、その適用される実体法は全く異なり、刑事法は基本的人権と直接に深いかかわりをもつものであるから、その解釈適用には厳格性が要求されるのであつて、右最高裁判所判決が刑事の裁判についても、さらに裁判官と同様、検察官についても、そのまま妥当するとする右仙台高等裁判所判決の理由とするところは、直ちに同調しがたいものであって、採用することができない。」と判示している。しかし、右最高裁判所第二小法廷判決が刑事の裁判についても妥当することは、いうまでもないところである(村上敬一・最高裁判所判例解説昭和五七年度一三事件二〇〇ページ参照)。また、右仙台高等裁判所判決は、右最高裁判所第二小法廷判決の違法の判断基準が裁判官と検察官の両者に共通する特質を有する範囲内で妥当するものと判示しているのである。

8 刑事裁判手続における実体形成は、捜査の当初における捜査機関の主観的嫌疑から公訴提起における客観的嫌疑を経由して、最後に有罪判決における犯罪の証明及び刑罰法規の具体化に至るまで、証拠資料を集積しながら漸次発展し形成されていくという動的、発展的性格を有するのであるから、公訴提起時における検察官の判断資料と公判終結時における裁判官の判断資料とは、刑事訴訟法における当事者主義及び証拠能力の厳格な制限からして一致するとは限らず、かえって、新証拠の出現、既在証拠の証明力の増強・減殺等によって、証拠資料は質的にも量的にも変動するのが通常であって、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の程度は、有罪判決に要求されるそれより当然低いもので足りるのであり、したがって、公訴提起の国賠法一条一項の「違法」があったかどうかを判断する場合、公訴提起に要求される有罪と認められる嫌疑の有無は、原則として、起訴時に検察官において既に収集していた証拠資料を総合して判断すべきである。検察官が起訴時に収集しておらず、公判審理の過程で弁護側申請の証拠として初めて顕出された証拠資料は、判断資料とすべきではなく、例外的に、検察官が起訴時までにこれらの証拠について収集しなかったことに職務上の義務違背があると認められる場合、すなわち、通常の検察官において公訴提起の可否を決定するに当たり、当該証拠が必要不可欠と考えられ、かつ、当該証拠について収集することが可能であるにもかかわらず、これを怠った等特段の事情が認められる場合に限って、判断資料に供し得るものというべきである。

そして、有罪と認められる嫌疑があるかどうかについては、刑事訴訟法は、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義を採用しているから、裁判官によって証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、一定の証拠によって形成される心証の態様・強弱の程度についても、ある程度の個人差が生じることは避け難く、裁判官と検察官の間では、立場の相違から証拠の見方や心証の強弱に差異があり得るのであるから、検察官の公訴提起に違法があるというためには、検察官において犯罪の嫌疑を認めた判断が、前述の起訴時における違法の判断資料に供し得る各種の証拠資料を総合して、証拠の評価について通常考えられる検察官の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、著しく合理性を欠くことが明らかな場合であることが必要であると解すべきである。

五 以上のとおり、原判決は、公訴提起についての誤った違法の判断基準に基づき、本件起訴の違法を肯定したものである。そして、原判決の右違法判断の前提となった、原判決の事実の認定判断に経験則違背ないし採証法則違背等の誤りがあることは、第一点において述べたとおりである。すなわち、本件全証拠を精査しても、原判決が認定しているように、被上告人から昭和四二年七月ころ「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)が株友会会員に対して送付された事実、被上告人の指示で同年八月中旬ころまで同人の従業員岩坪らが各株主宅を訪問した際、右従業員らが各株主に対し「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実、山田ほか二五名が被上告人の同志であり、かつ、被上告人において山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいた事実は、いずれも到底認定することができないのである。そして、原判決の認定に係るその余の事実を前提すれば、本件起訴が担当検察官の違法行為に基づくものであると認定判断される余地はないというべきである。本件において、担当検察官が、本件起訴時までに収集した全証拠を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があると判断した、その証拠評価が著しく合理性を欠くことが明らかであるとは到底解することができないのである。

したがって、原判決が検察官の公訴提起に係る違法の判断基準について判示するところは、国賠法一条一項の「違法」の解釈適用の誤り又は理由不備の違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第三点 過失の認定判断の誤りについて

原判決の、本件起訴は担当検察官の過失によるものであるとの認定判断には、国賠法一条一項の解釈適用の誤り又は理由不備若しくは理由の食い違いがあり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一1 原判決は、次のとおり判示して(原判決三六丁表三行目から七行目まで及び四二丁表初行から同裏六行目まで並びに原判決が引用する第一審判決一六丁裏九行目から一七丁裏五行目まで)、本件起訴は担当検察官の過失によるものであるとしている。

「これを本件についてみるに、本件事案は訴外会社の経理疑惑をめぐる会社側と一部の有志株主によって結成された『株友会』の会員との間のいわゆる民事紛争に端を発した事件であって、被控訴人はその代表者となっているのであるから、まずもつて、その行動母体である『株友会』の組織構成、結成された趣意、目的のみならず、会員資格、業務執行の方法、役員の選任及びその権限など株友会関係の証拠資料を収集し検討すべきは当然であり(被控訴人に対し株友会の規約の有無を訊し、その提出を求めることは容易であり、不可能であるとはいえない。)、このように少数株主権としての帳簿閲覧請求権を行使して、右疑惑を解明しようとする被控訴人らの側とこれを阻止しようとする会社側が対立している特殊な紛争では、会社側の関係人らに対する強い働きかけ(切り崩し工作等)が通常予想されるところであるから、これら関係者の供述・証言のみを一方的に重視して判断すべきではなく(慎重な検討、配慮が要請される。)、原告に文書偽造の犯意ありとして起訴するには、相当高度な合理的(客観的)根拠が必要とされるのである。

特に本件の場合、「株友会」が結成されるにいたった経緯、その目的、趣旨及びその後における活動の実態等からすれば、被疑者である原告が終始一貫して「委任状作成についても任されていると思った。」旨の弁解も一応無理からぬ道理であり、容易にこれを無視することはできない性質の事案であったとみるべきである(果して、公判では、錯誤により故意を阻却する旨の判断が下されているのである。)。

しかるに、担当検察官は、原告の犯意の存否につき、このように極めて重要な決め手となるべき事件の本質的な背景、事情について何ら思いを致すことなく、被控訴人が担当検察官から取調を受けた際に持参した株友会関係の証拠資料を一瞥もせずにそのまま持ち帰らせ、また、前記供述書中で引用している証拠を被控訴人に持参させて検討することもなく(株友会関係の証拠資料を十分検討した形跡は窺われない。)、単に関係者らの供述だけを一方的に過信し、原告のする弁解は単なる動機の錯誤にすぎないと即断してこれに耳を傾けず、実質的な取調は全くしないまま、慢然と本件起訴に及んだものであるから、この点に過失があるといわざるえない。」

2 しかし、原判決の右認定判断の前提となった、原判決の事実の認定判断に経験則違背ないし採証法則違背等の誤りがあることは、第一点において述べたとおりである。すなわち、本件全証拠を精査しても、原判決が認定しているように、被上告人から昭和四二年七月ころ「株友会会員各位」と題する書面(〈証拠略〉)が株友会会員に対して送付された事実、被上告人の指示で同年八月中旬ころまで同人の従業員岩坪らが各株主宅を訪問した際、右従業員らが各株主に対し「今後委任状が必要な場合は原告に印鑑と署名を任せて欲しい旨を申入れ」た事実、山田ほか二五名が被上告人の同志であり、かつ、被上告人において山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいた事実は、いずれも到底認定することができないのである。そして、原判決の認定に係るその余の事実を前提すれば、本件起訴が担当検察官の過失に基づくものであると認定判断される余地はないというべきである。本件においては、「株友会会員各位」と題する書面が株友会会員に送付された事実及び被上告人の指示で同人の従業員らが各株主宅を訪問した際、署名・捺印の代行を申し入れた事実は、いずれも存在せず、したがって、右両事実が存在しない以上、被上告人が山田ほか二五名が委任状の作成を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込むということはおよそあり得ないのである。

仮に、被上告人が、何の証拠もなく、各株友会会員の意思に反して、それでも内心では山田ほか二五名が委任状を自分に一任ないし黙認してくれているものと思い込んでいたというのであれば、それは被上告人の重大な思い違いであって、何人もうかがい知ることのできない内心のことであるから、原判決のいうように、「(本件の場合、)被疑者である原告が終始一貫して「委任状作成についても任されていると思った。」旨の弁解も一応無理からぬ道理であり、容易にこれを無視することはできない性質の事案であったとみるべきである」と認定判断することは到底できないのである。

証拠によって認定し得る事実を前提にする限り、本件起訴が担当検察官の過失によるものであると認定判断される余地はないというべきであるが、以下において、原判決の認定判断が誤っていることを更に詳述する。

二1 原判決は、「これを本件についてみるに、本件事案は訴外会社の経理疑惑をめぐる会社側と一部の有志株主によって結成された『株友会』の会員との間のいわゆる民事紛争に端を発した事件であつて、被控訴人はその代表者となつているのであるから、まずもつて、その行動母体である『株友会』の組織構成、結成された趣意、目的のみならず、会員資格、業務執行の方法、役員の選任及びその権限など株友会関係の証拠資料を収集し検討すべきは当然であり(被控訴人に対し株友会の規約の有無を訊し、その提出を求めることは容易であり、不可能であるとはいえない。)、このように少数株主権としての帳簿閲覧請求権を行使して、右疑惑を解明しようとする被控訴人らの側とこれを阻止しようとする会社側が対立している特殊な紛争では、会社側の関係人らに対する強い働きかけ(切り崩し工作等)が通常予想されるところであるから、これら関係者の供述・証言のみを一方的に重視して判断すべきではなく(慎重な検討、配慮が要請される。)原告に文書偽造の犯意ありとして起訴するには、相当高度な合理的(客観的)根拠が必要とされるのである。」と認定判断している。

右の趣旨が、「被控訴人に対し株友会の規約の有無を訊し、その提出を求めることは容易であり、不可能であるとはいえない。」との部分を除き、本件刑事事件の性質、内容、特徴等とそれに対応する捜査の在り方について一般的に判示する趣旨であれば、格別異論はない。現に、担当検察官は、株友会の組織構成、結成の趣旨・目的、会員資格、業務執行の方法、役員の選任及びその権限等、株友会に関係する証拠資料を十分に収集・検討しており、会社側関係者の供述、証言のみを一方的に重視して判断してはいない。担当検察官は、これらの証拠を慎重に総合検討した結果、有罪と認められる嫌疑があるという合理的な心証形成に到達したことから、他の諸事情をも考慮して本件起訴をするに至ったものである。

しかし、前記判示の趣旨が、担当検察官が収集した株友会関係の証拠資料では不十分であることを前提にして、右のように判示しているのであれば、原判決は、誤った事実に基づいて認定判断していることになる。すなわち、第一点の七で述べたとおり、本件において、株友会関係の証拠資料ないし株友会関係の証拠書類で、被上告人が各株主の署名・捺印の代行を一任ないし黙認されているものと思い込んだ原因あるいはそれを裏付けるようなものは存在しないのである(なお、株友会設立に付いての規約(〈証拠略〉)、株友会規約(〈証拠略〉)ないし右に類するような書類が株友会関係の証拠資料として当時存在しなかったことは、次に述べるとおりである。)。したがって、この点に関する原判決の認定判断は、その前提となる事実の認定判断を誤っているといわざるを得ない。

2 原判決は、「被控訴人に対し株友会の規約の有無を訊し、その提出を求めることは容易であり、不可能であるとはいえない。」と認定判断している。

右説示にいう「株友会の規約」とは、単に株友会の組織構成等を定めたものではなく、株友会設立に付いての規約(〈証拠略〉)及び株友会規約(〈証拠略〉)のように、被上告人が株友会会員から署名・捺印の代行を任されている趣旨の条項の記載があるものを指すと解されるが、右両書類及びこれに類するような書類は、本件起訴当時存在しなかったのである。

原判決が、株友会設立に付いての規約及び株友会規約を、被上告人が各株主から署名・捺印の代行を一任ないし黙認されているものと思い込んだ原因あるいはそれを裏付ける書類として考えていないことは、第一点の七2で述べたとおりである。それは、本件仮処分申請の委任状が作成された昭和四二年一一月二〇日以前には、株友会設立に付いての規約及び株友会規約は、いずれも作成されていなかったことを原判決が前提としているものであるから(なお、右両書類は、右の時点までに作成されていなければ、証拠価値のないものであり、本件仮処分申請の委任状作成後に作成されたのであれば、本件起訴前であっても、証拠価値がない点では径庭がないものである。)、原判決は、「株友会の規約」に右両書類を含ませていないと解される。また、右両書類に類する、すなわち、被上告人が株友会会員から署名・捺印の代行を任されている旨の条項の記載がある右両書類以外の「株友会の規約」が存在することは、被上告人自身も主張していないから、検討するまでもないところである。

しかるに、原判決は、「株友会の規約」として、株友会設立に付いての規約及び株友会規約が本件起訴当時既に存在していたことを前提としているようでもあり、原判決のこの点の判示の趣旨は明確ではない。

しかし、右両書類は、本件仮処分申請の委任状が作成された昭和四二年一一月二〇日以前はもちろん、検察官が被上告人を取り調べた昭和四三年一二月の時点でも作成されておらず、むしろ、本件公訴提起後に作成されたものと認めるのが合理的であり、その理由は次のとおりである。

(1) 株友会設立に付いての規約(〈証拠略〉)は、被上告人の刑事公判廷における供述によれば、被上告人が昭和四一年一一月一七日ころ川田弁護士らと作成した(〈証拠略〉)というのであるが、同月二日には、被上告人ら一七名の株主が集まり、雑談程度の話し合いをしたにすぎず(〈証拠略〉)、株友会として活動を開始したのは昭和四二年八月ころであると認められるから、昭和四一年一一月当時においては、規約類を定める考えすらなかったのではないかと推測される。しかも、甲第一一号証は、各条項の文言が法律的な表現に欠けるものであって、株友会設立に付いての規約が昭和四一年一一月一七日ころ川田弁護士らの関与の下に作成されたものと認めることはできない。

(2) 株友会規約(〈証拠略〉)は、被上告人の刑事公判廷での供述によれば、昭和四二年六月ころ、川田弁護士が作成した(〈証拠略〉)というのであるが、右規約六条には、「業務執行組合員が所要の委任状に各組合員名義で代理して署名し、且適宜の印鑑で捺印することができるものとする。」旨の記載があり、仮に、右規約が同年六月ころ作成されていたのであれば、同年八月ころまで、なおも、被上告人らが株友会会員から白紙委任状や帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書の各委任状の用紙にそれぞれ署名・捺印を求めて回り(〈証拠略〉)、更にその後も、臨時株主総会や定時株主総会に関する委任状を各株友会会員から徴しなければならなかった(〈証拠略〉)ことが合理的に説明できないのである。

(3) しかも、右両書類(〈証拠略〉)は、昭和四二年一〇月二七日、当時株友会事務所として使用していた被上告人方が洲本警察署警察官によって捜索を受けた際にも押収されていない上(〈証拠略〉)、同年一一月八日の第一次仮処分申請時、及び同月二一日の本件仮処分申請時のいずれにおいても、被申請者から委任状の偽造等を理由に異議申立てを受けたにもかかわらず、各委任状の有効性を直接疎明するために有力な証拠となるはずの右各規約が、裁判所に提出されたことはなかったのである(〈証拠略〉)。

(4) 右両書類(〈証拠略〉)の作成に関与したとされる川田弁護士を含む本件仮処分申請の代理人となった三名の弁護士(仙波弁護士、川田弁護士及び吉田朝彦弁護士)は、〈証拠略〉によれば、答申書を作成しているが(これは捜査機関に提出したものと思われる。)、右答申書の中で、「その後番所氏より弁護士吉田朝彦に電話があり、株友会員から聞いたところによると、会社が自分(番所)を委任状の文書偽造で告訴するとか、あるいは告訴したとかの連絡あり、こんなものが文書偽造になるとは極めて心外だが、どうだろうとの問い合わせがあった。そこで吉田が驚いて右委任状作成の事情をたずねたところ、一部のものはありあわせの印で自分(番所)がつくったとの返事だったので、吉田は非常に立腹し、一体何をするんや、われわれを欺ましたのかと怒り、仙波、川田両弁護士に連絡した」と述べていることが認められるのであって、三名の弁護士とも、被上告人が各株主から署名・捺印の代行を任されていたとは全く考えていなかったことが明らかである(なお〈証拠略〉株友会規約第六条には、「業務執行組合員が後者の方法(上告代理人注・「組合員個々の名においてその委任をなす方法」のこと)を採る場合は、各組合員は、各組合員作成名義の弁護士に対する委任状が必要であるので、これを作成するにつき、業務執行組合員が所要の委任状に各組合員名義で代理して署名し、且適宜の印鑑で捺印することができるものとする。」旨明記されているのである。)。

しかも、被上告人のいうところに従えば、右両書類はいずれも川田弁護士がその作成に関与したというのであって、一般に、弁護士の供述の信用性は高く評価されるのであるから、当然被上告人は、第一審若しくは原審において、川田弁護士を証人として申請するはずであるのに、実際には全く申請していないのである。

(5) 被上告人は、本件捜査段階において、同人の弁解を直接裏付ける有力な証拠となるはずの右両書類を提出せず、また、これらの書類の存在を前提とした弁解もしなかった。そして、本件起訴後、刑事事件の第三回公判期日(昭和四四年八月二七日)に至って初めて、株友会設立に付いての規約を、さらに第一〇回公判期日(昭和四五年一二月九日)になってようやく株友会規約を提出しているのである(〈証拠略〉)。

一方、株友会会員とされる被偽造者らは、本件捜査段階から公判段階に至るまで一貫して右両書類についての、あるいはこれの存在を前提とする供述を一切しておらず(〈証拠略〉)、かえって、刑事公判廷においては、これらの書類を見たことがない旨明確に否定する証言をしているのである(〈証拠略〉)。

また、被上告人の従業員であった岩坪は、本件捜査段階において、司法警察員に対し、昭和四二年八月二八日の株友会の会合で、「会則等は後日定め、経費は当分の間委員で分担する」ことなどが決まった旨供述し(〈証拠略〉)、さらに、同年一〇月二九日ころから同年一一年初旬ころまでの間に、帳簿閲覧請求について仮処分を申請するため各株主方を回り委任状に署名・捺印を求めたが、これは「それまで各株主から貰っていた連名の署名押印は、会社に対する帳簿閲覧請求の賛同だけでそれ以外にはなんの効力もなく、役立たぬものであるところから新しく作成した」旨供述している(〈証拠略〉)

(6) 原判決は、「被控訴人は昭和四二年六月当時すでに問題の株友会規約は定められており、被控訴人ら株友会役員は、帳簿閲覧請求書、検査役選任申請書に署名、捺印を求める際、この規約を持つて各株主宅を廻つて説明していると主張し、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認めうる甲第七〇号証、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果はこれに副うものである。しかしながら、〈証拠略〉によると、被控訴人は同年八月以降同年一一月当時も株友会の委員長として行動しており、組合長としては行動していないことが認められ、当時すでに問題の株友会規約が定められていたとすれば、帳簿閲覧のために個別に委任状を徴するなどの必要もないことなどに照らすと、前記被控訴人本人尋問の結果はたやすく措信しがたく、また、前記甲第七〇号証をもつてしても、同年七月四日当時株友会規約(〈証拠略〉)が存在したとまでいえず、その作成時期については、必ずしも明らかでないが、本件の場合、たとえ、それが本件仮処分申請後に作成されたとしても、前記1(四)において認定した事実関係のもとにおいては、右の判断を左右するものではない。もし、当初から存在していたとすれば、錯誤の問題にとどまらず、委任状作成の権限自体が有効にあつたことになるからである。」(原判決三六丁表三行目から七行目まで及び四二丁裏七行目から四三丁裏二行目まで並びに第一審判決一七丁裏五行目から一〇行目まで)と認定判断している。

右の判示中、原判決が被上告人の本人尋問の結果は措信し難いとしてこれを排斥している点は前述のところから正当であるが、株友会規約の作成時期について、それが本件仮処分申請の前であるか、後であるかについて何ら確定していないことは、理由説示としてまことに不十分であるといわざるを得ない。株友会規約が本件仮処分申請の前に既に作成されていて初めて、本件仮処分申請の委任状の作成について、被上告人が各株主から署名・捺印を任されていたと思い込んだ原因となり得るのである。しかし、実際は、本件仮処分申請の後に被上告人が作成したのであって、前記(4)の経緯に照らしても、被上告人が専ら弁解のために作成したものと認められる。原判決は、「それが本件仮処分申請後に作成されたとしても、前記1(四)において認定した事実関係のもとにおいては、右の判断を左右するものではない。」とする。しかし、「前記1(四)」についての原判決の認定判断がそもそも誤っていることは、第一点の四で述べたとおりである。

三1 原判決は、「特に本件の場合、「株友会」が結成されるにいたつた経緯、その目的、趣旨及びその後における活動の実態等からすれば、被疑者である原告が終始一貫して「委任状作成についても任されていると思つた。」旨の弁解も一応無理からぬ道理であり、容易にこれを無視することはできない性質の事案であつたとみるべきである(果して、公判では、錯誤により故意を阻却する旨の判断が下されているのである。)。」と認定判断している。しかし、既に、第一点(特に一及び四ないし七)において詳述したとおり、担当検察官は、株友会の結成の経緯、結成の目的・趣旨及びその後の活動状況等を詳しく検討している。そして、起訴時に存在した各種の証拠資料を慎重に総合勘案して検討した結果、有罪と認められる嫌疑があるという合理的な心証形式に到達したのである。もちろん、被上告人の弁解も十分に検討して証拠評価をしたものである。したがって、原判決の右の認定判断には、誤りがあるといわざるを得ない。

また、刑事事件の判決においては、錯誤により故意を阻却する旨の判断がなされているが、右判断の当否はともかくとして、本件において、担当検察官は、起訴時に存在した各種の証拠資料を総合勘案した結果、公訴を提起した場合、錯誤により故意を阻却する旨の裁判所の判断がなされることはなく、有罪と認められる嫌疑が存在すると判断したものであり、関係証拠に照らして担当検察官の右判断は正当というべきである。

2 さらに、原判決は、「担当検察官は、原告の犯意の存否につき、このように極めて重要な決め手となるべき事件の本質的な背景、事情について何ら思いを致すことなく、被控訴人が担当検察官から取調を受けた際に持参した株友会関係の資料を一瞥もせずにそのまま持ち帰らせ、また、前記供述書中で引用している証拠を被控訴人に持参させて検討することもなく(株友会関係の証拠資料を十分検討した形跡は窺われない。)、単に関係者らの供述だけを一方的に過信し、原告のする弁解は単なる動機の錯誤にすぎないと即断してこれに耳を傾けず、実質的な取調は全くしないまま、漫然と本件起訴に及んだものであるから、この点に過失があるといわざるをえない」と認定判断している。右判示のいう「原告の犯意の存否につき、このように極めて重要な決め手となるべき事件の本質的背景、事情」が、被上告人の故意が錯誤により阻却される決め手となるべき本質的背景・事情をいうのであれば、既に述べたところから明らかなとおり、そのような本質的背景・事情は存在しないのである。また、担当検察官が被上告人を取り調べた当時、故意を阻却する錯誤の原因となるような証拠が存在しなかったことは、第一点の七において述べたとおりである。さらに、担当検察官が関係者らの供述を一方的に過信したり、被上告人について実質的な取調べを全くしなかった事実はなく、これは、第一点の六において述べたとおりである。なお、原判決は、「(担当検察官が)原告のする弁解は単なる動機の錯誤にすぎないと即断し(た)」としているが、担当検察官の真意は、被上告人の弁解は故意の成否とは関係のない単なる動機的なものにすぎないことから、これを情状として考えたというにあるのであって、これを原判決が誤って判断したものであることは、第一点の七3で述べたとおりである。

3 右のとおりであって、原判決がいうように、担当検察官が「漫然と本件起訴に及んだ」事実はなく、担当検察官に本件起訴につき過失があるとした原判決の認定判断は、到底首肯することができない。

四 以上のとおり、原判決の、本件起訴は担当検察官の過失によるものであるとの認定判断には、国賠法一条一項の解釈適用の誤り又は理由不備若しくは理由の食い違いの違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

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